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最後の一踏ん張り

どんなスポーツでも、序盤中盤の過程は関係がなく最後に勝つのは最終的に得点の多いチームです。

つまり終盤がそれほどに大事だということです。

格闘技などは、負けている方も最後にKOを狙って、最終ラウンドは死に物狂いで撃ち合いを繰り広げます。
要するに、終わりの時2023年に差し掛かる今、
サタン達は自分達の敗北間近に形相を変えて人々の足を引っ張り道連れにしようと必死です。

御言葉に出会い聞き従い続けている兄弟姉妹も、もしかすると今、激しい攻撃に遭いもがき必死に耐えている人もいるのではないかと感じます。

最後の一踏ん張り、私自身も含め兄弟姉妹が救いにあずかり、地上天国がなされるように祈るばかりです。
11月の御言葉で神様と私たちの間で障害となっているものを取り除く決心をしなさいと仰られていました。
これまでRAPTさんは、
握りしめているものを離さなければいけない、
捨てるのが惜しいと思うものでもサタン的なものは捨てなければならない、
と様々な形で御言葉を伝えて下さっていました。

祝祭の日と題して証したように、私の中にもこれと思う隔てとなるものが存在していました。

祝祭の日は、本当に神様が近くに感じられ、障害がなければこれほどまでに愛を感じられるよと示されているようでした。

その日私は決心をして、ちょうど1ヶ月ほど経った今願いが叶い、私の中で捨てられなかった障害を神様が取り払ってくださりました。

実は、この経験は初めてではなく、1年少し前私が信仰を持つきっかけとなった日に祈り叶った経験がありました。

私は、御言葉を聞くようになり、神様以外のもの全て捨てられればもっと神様との時間ができるのにと考えその日祈りました。

すると即座に叶えてくださり、それがきっかけで神様は絶対にいると確信しました。

しかし、恥ずかしながら当時の私は、気持ちも覚悟も何もかも足りず、捨てられたはずのものが惜しい、何か心が満たされず、その後も信仰を持ちながらも握り続けてしまっていました。

いつかの御言葉で、罪のある人御言葉に完全に従っていない人は祝福を100%受けられていないと話されていたことを思い出しました。

どれだけ義の条件を立てても、神様は完全な方なので悪いところは直しなさいといいます。

祝祭の日を通じて、日々の私は100%には到底及ばないほどの祝福しか受けられずにいるのだと気付きました。

同時にこれに勝るものは無いと思い、その日に決心することができました。
本当にこのままいけば霊的に死んでしまうと感じるほど足を引っ張られる日々が続きました。

正直、捨てる時は本当に辛いです。
人それぞれ簡単に捨てられるもの、捨てるのが惜しいと感じるものはそれぞれです。

しかし、これがクリーンな状態であり、神様はその人にとって必要がないからこそ捨てさせるということが身に染みて感じました。

御言葉でも古い考えを捨てなければならないとあったように、本当にこの終わりの時を境に2023年からは全く別物なのだなと感じました。

それほど神様は今、救いにあずかれるように義人達を導き、その周りを整備されているのだと感じました。

本当に御言葉が道標の人生です。

最後の一踏ん張り、これから救われる方々も大切ですが、今救われている兄弟姉妹が欠けることなく、救われる事を心から祈っています。

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