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「少女革命ウテナ」における成長とは〜いつか一緒に輝いて〜


作品 少女革命ウテナ(テレビアニメ版) 監督 幾原監督                     

今回のこの課題にあたって、私はテレビアニメ版の少女革命ウテナ(監督:幾原邦彦)という作品作品を取り上げる。なぜ、この作品を取り上げるのかという理由は講義内で扱った「リボンの騎士」作(著:手塚治虫)の作品内で登場した男装の少女というテーマに興味を持ったからである。リボンの騎士の登場人物であるサファイヤは、自分で王子様になりたいと願っている少女ではない。だが、この物語の主人公である天上ウテナという少女は、自分の意思で王子様になりたいと願っている。しかし物語の中で彼女は、少女=女という性の固定概念に縛られ、多くの困難に立ち向かう。立ち向かっていく。そして、多くの挫折を味わった後のこの物語のラストは、ウテナが「男でも女でも強さと失わない人間」=王子様になり一人の少女の世界を革命する物語である。そしてつまり、一人の少女この作品は、既存の「王子様=男性」というジェンダー・カテゴライズの価値観を壊すことに成功した例でもあるのだ。
一人の少女が同じ性別であるお姫様を救い、ある少女の王子様となり世界を革命することで終わりを迎える。つまり、一人の少女の成長の物語でもあるのだ。

『少女革命ウテナ(テレビアニメ版)』についての基本情報
原作:ビーパパス
監督:幾原邦彦
キャラクターデザイン:さいとうちほ(原案)
アニメーション制作:J.C.STAFF
制作:テレビ東京、読売広告社

あらすじ
幼い頃に助けてもらった王子様という存在に憧れ、王子様になりたいと願う天上ウテナは、入学した鳳学園で姫宮アンシーという少女に出会う。アンシーは、『薔薇の花嫁』と呼ばれており、決闘に勝利しエンゲージした者には永遠に至る世界を革命する力が与えられるといわれていた。薔薇の花嫁をかけて戦いを続ける生徒会メンバー(デュエリスト)たちは薔薇の刻印と呼ばれる指輪を持っていた。ウテナが幼少期に助けてもらった王子様に貰った指輪がデュエリストと持つ薔薇の刻印と同じだったためウテナもこの薔薇の花嫁をかけた決闘ゲームに巻き込まれてゆく。
各生徒会メンバーとの決闘の末にアンシーを手に入れるウテナだったが、謎の組織である黒薔薇会が現れる。彼らの用意した黒薔薇のデュエリスト達が生徒会メンバーの剣を手にウテナに決闘を挑む。彼らの目的は薔薇の花嫁に死を与えることだった黒薔薇会の主宰者である御影草時との決闘に勝利したウテナは、アンシーの兄で学園理事長代理の鳳暁生と関係を深めていき、世界の果ての真相に近づいてゆく。
しかし、鳳暁生に支配されているアンシーをウテナが救い出すために決闘に向かうためと、薔薇の門は棺に代わっていた。棺は閉塞した世界の象徴であり、この棺は姫宮アンシーにとっての世界であるといえるだろう。また、世界の果てとは、鳳暁生そのものであった。
ウテナはアンシーが閉じ籠っていた棺の扉を抉じ開け、手を差し伸べる。アンシーは戸惑いながらウテナの手を握ろうとするが、(アンシーがウテナの手を握るということは、アンシーが薔薇の花嫁=規定のジェンダー観からの脱出すること・自分自身を見つけることを意味すると考えられる)。しかし、その手は離れてしまう。手を離してしまったウテナは、アンシーと鳳暁生以外からは忘れ去られる。しかし、今までの王子様ではない(女であるウテナだからこそ)ウテナに、自分の殻を開けたことで自我を確立する。アンシーはウテナが皆の記憶から消えた後、ウテナを探すために自らの意思で薔薇の花嫁を辞める。
つまり、ウテナはアンシーという一人の少女の価値観を革命することができたのだ。薔薇の花嫁が一人の人間となることができた。そうして、この物語は終焉を迎える。   


構成
1〜13が生徒会編、14〜24話が黒薔薇編、25〜33話が鳳暁生編、34〜39話が黙示録編。


キャクターについて


  1. ①   王子さまに憧れる少女 天上ウテナ

この物語の主人公と呼べる中学二年生である天上ウテナ。幼少期に両親を事故で亡くし、その際に自身を助けてくれた白馬に乗った王子さまに憧れ、自分も王子さまになりたいと思っている少女。容姿はピンク髪に大きな瞳と、お姫様のような可愛らしい外見をしている。しかし、男子生徒とは異なるが、女子生徒とも異なる制服に身を包みいわゆる男装をしている。「王子様のように気高くかっこよく」在ることを信条としており、男になりたいわけではなく、女という性に縛られることも拒んでいる。外見は、ベルサイユのばらのような男装姿では無く、ピンク色の髪・女性らしい体つきに男装というキャラクターデザインをされている。
実はウテナは、幼少期に王子様に会った際に「百万本の剣」で貫かれたアンシーの姿を見せつけられており、その際に「薔薇の刻印」の指輪を預けられていた。その時、ウテナの本当の目的は「アンシーを助け出すこと」だったことが判明する。暁生とアンシーが肉体関係にあることを知ってもアンシーを助ける気持ちは変わらず、本当のアンシーが閉じこもっていた「棺」を開くことに成功し、彼女の価値観・世界観を革命する。ウテナはアンシーの身代わりとなり鳳学園という世界から存在が消え、アンシーと暁生以外の他の人々から忘れられてしまう。

<天上ウテナの物語の始まりとラストにおける差異>
物語の始まり  男装をしている王子様に憧れる少女
ラスト     少女でありながらも、姫宮アンシーの世界を革命するがアンシーと鳳暁生以外からは存在を忘れさられてしまう

➁象徴として描かれる女性像:姫宮アンシー

薔薇の花嫁と呼ばれている少女。決闘ゲームに勝利し彼女とエンゲージしたものには世界を革命する力が与えられているといわれている。おとぎ話の王子様を待つだけのお姫様として描かれているアンシーは、主体的に行動することができず、男性に従属するというような普遍化された因習的な女性像となっている。(=既存のジェンダー・カテゴライズに囚われている。)遥か昔、多くの人の願いを叶えすぎたことで傷付いたディオス(王子様)を封印したが、彼女は魔女と見なされディオスに救われるはずだった「お姫様」達の家族によって無数の剣で刺し貫かれ、人々の憎しみから成る「憎悪に光る百万本の剣」を受け続けることになる。しかし、ウテナによって閉じこもっていた棺から救いだされ既存の普遍化された女性性から解き放たれたアンシーは、多くの人の記憶から消されたウテナを自らの意思で探しに、すなわちこれからの自分自身の道を歩んでいくのである。

<姫宮アンシーの物語の始まりとラストにおける差異>
物語の始まり  薔薇の花嫁として、デュエルに勝利したもの言いなりになり自分の意思を持つことができない
ラスト     ウテナによって自分自身が持っていた殻(既存のジェンダー観)を破壊され、自我を持ち、永遠の象徴である鳳学園(=棺)から出てウテナを探すために旅たつ


  1. ③ 大人や既存の男性の象徴として描かれる人物;鳳暁生

黒薔薇編で初登場する、鳳学園理事長代行にして姫宮アンシーの兄。性格は頼れる『大人な男性』であり、包容力もあり女性を大事にするフェミニスト。まさしく女性が夢見る『白馬の王子様』がそのまま表れたような人物であり、学園の内外問わず女性にとにかく人気がある。象徴的な男性像であり、差異を絶対視をし、自分と異なる他者を排除しようとすることで「世界」における自らの優位性を固定化しようとする、旧来的な男性として描かれている。しかし、実はウテナに「薔薇の刻印」の指輪を授けた「王子ディオス」の成長した姿で本人である。つまり、本物の王子様であった人物である。

<鳳暁生の物語の始まりとラストの差異>
始まり  鳳学園の理事長代理、またアンシーの兄として登場
ラスト  結局、最後まで王子様にもなりきれなかった鳳暁生はずっと青年の姿のまま学園に取り残される

<成長>の展開
天上ウテナ

→生徒会の戦いに巻き込まれ、最初のデュエル(決闘)に勝利し姫宮アンシーとエンゲージする。→自分の意思を見せないアンシーを薔薇の花嫁というカテゴライズから救い出そうと次々とデュエルに勝利→生徒会長の桐生冬芽にドレスを送られ、女性として扱われる。自分は王子様だと偽った桐生との決闘に破れ、アンシーを失う。→男装を辞め、女子生徒用のセーラー服を着るようになる。→親友の若葉の言葉により、「アンシーとボクの誇りを取り戻したい」と立ち直り桐生との勝負に勝利する。→「世界の果て」(=闇のディオス)本人であるアンシーの兄で学園の理事長である鳳暁生に女性として扱われてしまう。<性的接触>→暁生に利用されていたことが分かったウテナは、薔薇の花嫁である姫宮アンシーを理解したいと願いディオスと暁生がいる「天空の城」へと向かう。→姫宮アンシーが隠れていた棺の扉を開け、姫宮アンシーの価値観・世界を革命するが、暁生とアンシー以外には忘れ去られてしまう。

両者の出会いによって起こる価値観の違い
擬似的な男性体験
ウテナはデュエルに参加し、勝利する。姫宮アンシーが自分(王子様)に従属していることに慣れてしまったことで自分にはアンシーには自分が居なくてはいけないという義務感を抱いてしまう。王子様になるという擬似的な男性体験(男装を含め)を味わうことになる。


少女革命ウテナが描く成長=大人になること、女/男になることとは


少女革命ウテナという作品内において「成長」とは、ウテナによってアンシーが閉じ籠っていた世界を破壊する工程であったのではないだろうか。この工程によって、アンシーは自分というアイデンティティを確立することができた。
また、この作品内では、いわゆる自立できない子供が象徴的に描かれる。特に、生徒会長の妹である桐生七実は考え方や行動も傲慢で幼い性格として描写されている。アンシーは、一見するとミステリアスで大人っぽい印象を受けるが、王子様(主に男性)の言いなりに過ごしているだけである。大人として描かれる鳳暁生は、女性が夢見るような姿で描かれ自分は大人であるとよく呟いている。
そして、幾原邦彦作品において大人になることを視覚的に表現するために、少女や少年が性的接触をする場面が描かれる。だが、性的接触とはただの行為であり大人になるために必要な行為ではない。しかし、アンシーが実の兄である鳳暁生と、性的接触を行うシーンが描かれるがこの場合は幾原作品においては、体だけが大人であり中身が子供のままであるという状態であるといえるはずだ。

まとめ:少女革命ウテナにおける世界を革命すること


この作品のラストにおいて、ウテナは王子様=「男でも女でも強さと気高さを失わない人間」になり、自己確立を行なった。そして、姫宮アンシーが閉じこもる棺の扉を開き、手を差し伸べ、姫宮アンシーが持っていた既存のジェンダー・カテゴリーから救い出すことに成功したのである。この少女革命ウテナという作品は「王子様には男性しかなれない、女性は男性に従属するものだ。」というような既存のジェンダー・カテゴライズから脱出することができるという例を描いた。
監督である幾原邦彦は

「ロマン」を体現するような女の子の話を作ろうと思ったんです。/一般的には「ロマン」というと男の子のもので、「ロマンチック」が女の子のものとされていますよね。/たとえ世界中が大事件やトラブルな最中にあっても、それでも誰も行ったことのない頂点を目指すような。/しかし、結果としてはウテナは、暁生やアンシーへの気持ち(ロマンチック)と、世界を、自分が置かれている不遇な現実を革命したいという気持ち(ロマン)の間で揺れるキャラクターになってしまいました。
     「ちゃお」一九九八年二月号(第二二巻第三号)に掲載されたインタビューより

と語っている。つまりウテナは、自分のいる世界を革命するのではなく、アンシー個人の、暁生への依存心/既存のジェンダー・カテゴリーから解放したのである。この物語は、王子様の物語である。したがって、決して王子様=ウテナは魔女=アンシーを助け出そうとしてはならない。この行動はいわゆる王子様とお姫様が登場するおとぎ話のストーリーから逸脱してしまう。しかし、少女であるからこそウテナは、魔女であったアンシーに手を伸ばすことができたのである。

私は、この作品を見るまで大人とはどのような存在なのだろうと感じていた。しかし、この作品に触れたことで、本当は大人という定義は存在しないのではないかと思う。大人という言葉が在るだけで、実際は多くの人は子供から地続きで大人になろうと踠いているのではないだろうか。
また、女や男という性別に固執することは自分自身の世界を狭めてしまうということにも気がついた。女であるウテナが王子様となりアンシーの世界を革命することができたように、人間は性別を問わずに人を好きになってもいい、どんな姿であってもいいと教えてくれた作品でもある。多様なジェンダー表象の多様な在り方を私たちに示す作品である。
用語
エンゲージ 婚約の意味。薔薇の花嫁・アンシーをかけた決闘の勝者はアンシーと「エンゲージした」と表現され、アンシーはその勝者へ従属することになる。

世界の果て 薔薇の花嫁とエンゲージした者たちに与えられる力。デュエリストたちは各々の理由により世界を革命する力を欲し決闘に参加する。

薔薇の刻印 世界の果てから選ばれたものが送られる指輪。かつて永遠の研究を行なっていた100人の生徒と根室教授は世界の果てと契約してこの指輪を契約した。
この指輪を持つものだけが決闘広場に入り、決闘に参加することができる。ウテナは幼少期に自分を助けてくれた王子様からこの指輪を受け取っている。 

参考文献;著:押山美知子  新増補版 少女マンガ ジェンダー表象論<男装の少女>の造形とアイデンティティ   


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