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ドラッカーのマネジメントについて学ぼう - ⑰マネジメントの限界と多角化経営

さあ、金曜日だ。
金曜日は、ドラッカーの「マネジメント」について学ぶ日だ。

この本は非常に緻密に書かれており、記事としてはドラッカーが書いた内容を順になぞっていくようなものになってしまうかもしれないと思っているが、可能な限り現代的な解釈をして、わかりやすく解説を加えていきたいと思っている。

先週は「組織の規模によるマネジメントの考え方」について書いたが、今日は「マネジメントの限界と多角化経営」について書こうと思う。


マネジメントの限界

マネジメントの限界についてドラッカーはこんなことを書いている。

トップマネジメントが事業とその現実の姿、そこに働く人、経営環境、顧客、技術を自らの目で見、知り、理解することができなくなり、報告、数字、データなど抽象的なものに依存するようになったとき、組織は複雑になりすぎ、マネジメントできなくなったと考えてよい。

ドラッカー著「マネジメント」第9章 - マネジメントの戦略 - より

この一文を読んで、ボクはドキッとした。
ボクの今の仕事においては、どちらかと言うとデータで語ることが善しとされていて、それがロジカル思考だと信じられている。まさか「データが抽象的なモノ」だなどと言われるとは思ってなかった。

確かによく考えてみると、データによって何かが上手くコントロールできているとは思えない。結局のところ現場を上手くコントロールしているのは「人」であって、データはその補助に過ぎない。しかもかなり頻繁にそのデータによって混乱が引き起こされ、最終的に「人」の経験値に基づいた、ウルトラC的なハンドリングによって程良いところに着地している場合が多いように思う。

適切な多角化と不適切な多角化

さて、トップマネジメントがマネジメントの限界を感じると、彼らの多くは事業を多角化しようとする。当然のことだが、単一の事業は無限に拡大できるものではない。事業規模には限界があり、それは(営業力や組織力やマネジメントの良し悪しを除くと)地域社会との関係性によるものだ。

そして、人には欲求があり、同じことを繰り返していると飽きるという性質がある。なので、何か新しいことをやりたくなるものだ。一定の規模感に達し、マンネリ化した企業の経営者は多角化を検討するようになる。

ドラッカーは「多角化には適切なものと不適切なものがある」と説いている。多角化が適切であるケースは、それぞれの市場が統合されていること、そしてもう一つはそれぞれに使用する技術が共通のものであることだ。ただし、ここで言う「市場」を決めるのは顧客であり、提供者側が既知の市場に異なるアプローチで接近するようなものであるなら成功しない。また「技術」は現実のものである必要があり、理論やコンセプトなどは「技術」ではない。そして、市場による多角化と技術による多角化を同時に行うことは非常に難しい。つまり、多角化が成功する条件はかなり厳しいものであるということだ。

トップマネジメントの仕事

事業には単純さと複雑さが共存しなければならない。
小企業であろうと大企業であろうと、その二つを調和させることがトップマネジメントの仕事だ。

マーフィーの法則に「うまくいかなくなりそうなものは、いずれうまくいかなくなる」とのものがあるそうだ。ドラッカーはそれに「何かがうまくいかなくなると、すべてが上手くいかなくなる。しかも同時に。」という法則を付け加えている。

(続きはまた来週)


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