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私がどうやって広東語通訳者になれたのかを紐解いてみる(34)『追捕/Man Hunt』文化の差異で衝突 -

クルー到着からプリプロ

2016年2月にクルーがやって来た。大阪に制作拠点を置き、プリプロが本格的に開始。

私は当初、制作部配属だったので香港側クルーが入ってきてからは、香港側制作部と日本側制作部の通訳をやったり書類の処理手伝いをしたり。ロケハンなどに同行するよりはバックオフィスの事務仕事だった。決してエキサイティングな仕事ではないけれど、一つのプロジェクトを動かすということはこういった事務作業も必要になるのだと知った。

制作部は、予算の管理もすればロケ地の選定に始まり撮影許可申請なども行う重要な部署。こまごまとしたことを白黒はっきり詰めていかなければならない。香港側スタッフと日本側スタッフの意思疎通には能力の高い通訳が必要だと思った。(私自身の能力を買いかぶるのではなく、客観的分析として。)

文化の違いの間に挟まれて

日本人はえてして言い方が曖昧である。通訳自身が白なのか黒なのか理解できなければもう一方の言語に訳すことはできない。YesなのかNoなのか、出来るのか出来ないのか、はっきりした言葉をもらうまでは日本側スタッフに食い下がった。出来ないと言いたくないからお茶を濁した字面を出してくるのを「結局どっちですか」と切り捨てる。日本側スタッフは嫌そうだったが正しい意思疎通の為には折れるわけにはいかない。

香港人はあくまでも超ポジティブである。「このロケーションでこんなシーンを撮りたい」とぶち上げてくる。対する日本側は「無理だ。」の一言。具体的な理由の説明も無しに「無理だ」では当然納得できない。通訳として中立にいるはずの私でさえ「なぜ?理由は?」と問い詰めてしまう。「そこでそんな撮影やったことがない。」

出来ない理由を探す日本人

は???やったことがないというのが出来ない理由になってしまうの?やる前からなぜ無理と決めつける?まずはやってみればいいでしょう?やってみるべきでしょう?やってみたら案外すんなり出来るかもしれない。全力で努力してみたけれど相手側の理由で上手くいかなかったら、それはそれで理由として成立するし、香港側も最大限努力してみてくれたことに感謝こそすれ怒りなどしないよ?むしろ「どうせ無理だから」とトライさえしないことに怒るよ?

あくまでもポジティブな香港人

香港人は前向きだから、こんなことをやってみたい、と思えばそれが実現するように最大限努力する。努力したけれど実現しなかった場合は、実現しなかった理由を客観的に分析して、ではどうすれば実現するのか、他の方法を探したり、実現させたいことに最も近い形で成功するように自分の意見ややり方を変えて何度でもトライする。

あくまでもネガティブな日本人

日本人(スタッフ)はなぜポジティブになれないのか?交渉に失敗するのが嫌?失敗して戻って怒られるのが嫌?これまでに私が闘ってきたティピカルな日本人思考。どうしてそんなにもネガティブなのか、私には理解不能。そんなことで監督の思う絵が撮れるわけがない。この作品を素晴らしいものにしたいと思わないのか?チャレンジ精神は無いのか?元から香港人脳な私だったけれど、ここから私の立ち位置は完全に香港側になる。私が日本側のケツを叩くことにした。

「ここでこんな撮影をしたい」「無理だ」「なぜ?理由は?」「これまで誰もやったことがない」「じゃあ私達が史上初になればいいでしょ?」「いやどうせ無理」「どうせはやらない言い訳でしかない。トライもしていないのに無理だと決めつけるのはおかしい」「ダメだと思うよ」「トライしてみてダメならその結果は受け入れるけれど、トライもしていないのに無理とかいうのは受け入れられない、とにかく当たって砕けて来い!」私は通訳を越えて、怖い大阪のおばちゃんになっていた。

クリエイティビティはポジティブであるからこそ生まれる

香港人のクリエイティビティの高さは事あるごとに証明されてきた。昨年から続く抗議活動でも思いもよらない戦法がいくらでも出てくる。そして後に続く世界中の抗議活動が完全にコピーして使っている。

大阪観光局でインバウンドを担当していた頃に事あるごとに訴えた香港人の特質。「世界中で一番好奇心が強く、アンテナの感度が一番高く、なんだってやってみなきゃ気が済まない、誰よりも早く面白いものを見つけ出して自慢したい性質」

映画製作というクリエイティブな場面でも存分に発揮された。「そっかー、これはダメかー。じゃあ、こういうのはどう?ここをこうすれば上手くいくかな?」と様々なアイデアが即座に浮かぶ。臨機応変、まさに Be Water である。

こんな香港人の中に入ってする仕事は本当にエキサイティングで楽しかった。仕事には真剣に取り組むけれど、常に笑いを挟み込み、心に余裕を持つことを忘れない。

導演親自下厨

そんなある日「スープだぞー!」の声で皆が集まってきた。なんと贅沢なこと。天下の John Woo お手製スープだよ。

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「ワシは家でもちょくちょく自分でスープ作るんだよ」と言う監督。スープ用の豬骨を探して来いと言われたら買いに行くのも制作部の仕事。結局、日本では思うような豬骨がどこでも手に入るわけではないせいで入手できず、そして忙しくなってしまって、監督お手製スープはこの時一回きりだった。貴重な体験をさせていただけたというわけ。(続)

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