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五色塚古墳

冬至
ふと、こちらを経由して旅にでた。

石積みの山が映える

まずは、入口の事務所でどちら方面から来たのかを確認されて
あとは自由に入って見学OKという気軽さ。
資料を頂き、事務所内にある展示品を見てから古墳を楽しむことに。

パンフレット  
古墳のCG復元では海の傍にあったとわかる
https://www.city.kobe.lg.jp/documents/1880/2020goshikiduka_leaflet.pdf


受付事務所の展示品

古墳上のものはレプリカ
ビッグフット
壺いろいろ



右手入口階段あり

手続きを済ませたら入口に向かう
鍵穴にしか見えない
発掘調査を行わずしてこれ程修復するのだろうか?
あそこまで登るよ~
しんどくないから大丈夫
石の重なりが綺麗
前方の部分は黒っぽい石で覆われる
こちらの石は実際に発掘されたものだとか
前方の先端は 真っすぐで長四角 平坦な道というか広場
先端は海と明石大橋と淡路島を望む
簡単に淡路に行けそうな距離に見える
本当に人が葬られているのだろうか
こんな記事もある ↓

神功皇后関連説は驚く程いろんな場所で目にするけど ここでも

五色塚古墳に関しては、『日本書紀』神功皇后摂政元年2月条が関連記事として知られる[1]。同条によれば、新羅征討から戻った神功皇后が、征討前に崩御した仲哀天皇(第14代)の遺骸および誉田別尊(のちの第15代応神天皇)を伴って大和に戻る際、麛坂皇子と忍熊皇子(いずれも仲哀天皇皇子)が次の皇位が誉田別尊に決まることを恐れて皇后軍を迎撃しようとした。として、両皇子が仲哀天皇の陵の造営のためと偽り、淡路島まで船を渡しその石を運んで赤石(= 明石)に陣地を構築したとする。上の伝承に関連する記事として、『播磨国風土記』賀古郡大国里条(印南郡大国里条)にも、息長帯日女命(神功皇后)が帯中日子命(仲哀天皇)の埋葬の際に讃岐国の羽若石(= 羽床石か[17])を求めたとする伝承がある

Wikipedia
埴輪と住宅街と線路と明石大橋 絶妙なミックス感
あいにくの曇り 
遠くの海にかすかに日差しがぼんやり美しい
東向きだから決して夕日ではありませぬ
土俵?
入口側 向こうにも小さな古墳 (小壺古墳)
ならば、こちらは大壺古墳でもいいのかも


円墳を登ります
お皿が大きすぎるわね
ここの埴輪は人型ではないらしく 器仕立てで意味深


近くで見ると 白っぽい石ではなく 色んな色の石


登ったらてっぺんは円形の平らな広場
円墳を登りきったところ振り返ると


思いの外 説明が読めない
住宅街が見渡せる
埴輪と小壺古墳


昔は船で淡路島へ
円墳の中心から眺める淡路
中心あたりに転がっていた石 特に意味なし

円の中心は天と地のパワーを感じるとか・・・ 
うーむ わからん・・・
偶然冬至にここに立てたということで良しということに。

中心に立ってみて
古墳の中心から愛を叫ぶ
そんなことをしてみても良かったのだけれど
人様の目も一応気になり やめておいた。
まだ人の目は一応気になる。

大壺古墳ではなく 千壺古墳と小壺古墳
道路を挟み ↓



古墳そばの公園に実る
敷地外からも良く見える 右側面
敷地外 ぐるりと道なりに垣根越しに丸見えの円墳
敷地外 左側面

ここでお別れ
住宅街にこんもりと存在し境界線の厳しくない地元の公園みたい。
駅から徒歩10分程度 軽くお散歩気分で行ける場所。


おわり

貴重ながら
見晴らしも修復も美しい公園のようだった。
五色という名前に本当は意味がありそうな
壺という名前からも何かを受け取る役割が秘めていそうで面白い。
五色塚とか壺の由来がもっと知りたかったけれど
よくわからず残念。

墓のようでいて、祭祀場でもあり 
○○と交信する場所であったり 
何かが乗っかれそうな広大さであったり
なぞなぞな史跡である。

こんもりした古墳を見る場所はあるが
こんな風に登ってみることができる場所はほかにあるのかな?

また訪れる機会があるならば
緑の芝生が美しい時期に来てみたい。


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