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「何でだろ。」4年・羽藤 宏太朗

いよいよ12月も中盤、2021年も終わりを迎えようとしている。人肌恋しくなってくる季節だ。スマホを持つ手をそっとしまってふと空を見上げる。星が綺麗だ。冬はオリオン座が綺麗に見える。

何でだろ。

オリオン座ってなんかすぐ見つけられるよね。


幾度もなく壁にぶち当たりながらも、まるで漫画かの如くピッチへ舞い戻った、"不死鳥"中村よりブログを引き継ぎ、チーム最後の引退ブログを書かせていただきます。


このブログの公開日は12/11。
気がつけば最後の都リーグから1ヶ月が経った。

その日みんなの前で最後のスピーチをした。

池田、中村は心に響く言葉を投げかけていた。
中村はボロボロ泣いていた。
古宮は笑ってたらしいけど。

自分の番になっても涙は意外と流れず、
そのうち実感湧いたら泣くのかなぁと思ってはいたものの、今のところそのような感情にはなっていないようだ。



何でだろ。



中学の時。
首都圏私立チャンピオンズカップ関東大会決勝。

PK戦の末敗退し、引退した。

自分は後半から試合に出ていた。

自分のミスから失点を喫し、味方の援護で同点に追いついたものの、PK戦では1本も止められず無様に敗退。

緊張に押しつぶされ、身動き一つ取れなかった。

不甲斐ない自分のせいで負けたと、悔しくて涙が止まらなかった。



高校の時。
全国高校サッカー選手権大会東京都予選決勝。
あと1勝で全国大会出場が決まるという試合。

相手は1人が退場し、圧倒的有利な状況だったが
延長後半ロスタイムに失点し、そこで引退。

自分は試合に出るどころかベンチにも入れず、
サポートメンバーとしてベンチの後ろにいた。

自分がピッチ上にいないこと、
そして自分ならチームを救うことが出来たと、自信を持って思えないことが何よりも悔しかった。

もう「次」がないことに絶望し、
悔しさをぶつける矛先がないことに無力感を覚えた。

受験期、もう2度とあの環境でサッカーをすることができないのかと嘆き、何度お風呂で涙を流したことだろう。



そして大学。
学生サッカー最後の試合。

その日、
既に当初の目標であったリーグ優勝は決めていた。

その日、
チームを何度も救ってきた"10番"池田 総一郎はピッチにはいなかった。

その日、
平日の夜にも関わらず沢山の人が応援に来てくれた。

その日、
松村、中村が途中出場し、その日メンバー入りした4年生7人が全員ピッチに立った。

その日、
"主砲"4年の松本のゴールで勝ちをもぎ取った。

その日、
自分は90分間試合に出場し、無失点で試合も終えた。

そして、所沢に鳴り響いた最後のホイッスル。



不思議と涙は出なかった。



整列時、松村と中村がボロ泣きしていた。

後輩も何人かが目元を光らせていた。

それでも自分は泣かなかった。

それを見てニヤついていたくらいだった。

これまでの後輩としての3年間、
大東文化大学戦、学習院大学戦、武蔵大学戦、
毎年泣いていたというのに。



何でだろ。



試合に出ていたからだろうか。

試合に勝てたからだろうか。

優勝が決まっていたからだろうか。

勝ち負けに関わらず、予め最後と決まっていたからだろうか。

はたまた、もっと悲しいことを既に経験していたからだろうか。


どちらかと言えば涙脆い方であるし、
試合前もまぁどうせ泣くんだろうな、
勝って泣いたらカッコいいよな、と思っていた。

でも泣かなかった。

優勝が決まった東京理科大学戦は、
逆に自分だけが泣いていた。

結局目標達成にホッとしていただけで、
どこかやり切ったと思ってしまってるのかな。

その日、帰りの電車の中でこう思った。


そうなのかもしれない。
自分はサッカーをやり切ったのかも。

18年間を大好きなサッカーに費やしてきた自分としてはちょっと悲しかった。



そんなこんなで引退から2週間後、
高校同期の試合を見に行った。

勝てば関東1部昇格の入れ替え戦。
絶対残留を目指す上位チームと、
すぐそこにある昇格に向けハングリーに挑むチーム。
バチバチの凌ぎ合いがそこにはあった。

1つ1つのプレーの質。
止めて蹴る技術、攻守の駆け引きや空中戦。

この4年間で体感したことのないレベルだった。


試合後その同期と立ち話をした。

まずは4年間お疲れと伝え、他愛のない話をした後
自然と自分から出てきた言葉は、



俺ももっと高いレベルで勝負したいなぁ、だった。



なんだ全然やり切ってないじゃないか。



そう思えて、ちょっと嬉しかった。
寒い中1人だったけれど、
この試合を見に行って良かったと心から思った。



でも、何でだろ。



この試合に出ていた同期は、
高校の時も試合に出ていた人間だった。

当時、自分はサポートメンバーだった。

大きな差があったはずだ。
当時は活躍できる自信もなかったはずだ。
お前らマジで上手いな、で終わってはずだ。

でもその日出てきたのは、

「俺も」という言葉だった。



何でだろ。



佑太くんや泰志くん、隆次くんから引き継いだ主将を1年間担えたことが自信に繋がったのかもしれない。

1年時から試合出場の機会を得たことで、自信がついたのかもしれない。

学生監督の南出や古宮、吉見コーチや龍くん、五十嵐くんや押田くん等のお陰でサッカーに対する成長を感じられていたからなのかもしれない。

これは全て終わった今だから言えることだけど、
多分全部が理由になっているんだろう。

だからこの変化は、
全部上智大学体育会サッカー部のお陰だ。


"学生主体"の体育会
そんな一言だけで終わる組織じゃない。


お忙しい中、時間を許す限りスタッフとして現役の活動を支えてくださった藤田監督、精園さん、滝本さん。

中迫さんを始めとして、伝統を創り、卒業後も様々な形で支援をしてくださっているOB・OGの方々。

難しい社会情勢の中、部員の背中を押して、活動に参加することを認めてくださった保護者の方々。

自分たちのような学生ばかりの組織に専門的な知識を持って最大限サポートしてくださった、笹本トレーナーや前田トレーナー、吉見コーチや典くん。

日々サッカーにフォーカスし、全カテゴリー、全部員に対してサッカー面での成長をもたらしてくれたGM課。

グラウンドの確保や練習試合のマッチング、大学や学連との連絡等、部として活動していく「当たり前」を支えてくれた総務課。

部の資金の流れを精査し、今年さまざまなチャレンジをしていく中で実現可能性を最大化するサポートをしてくれた経理課。

新型コロナによる活動自粛も乗り越えて、献血活動やサッカークリニック、SNS運用等、部の社会的地位を上げ、理念通り「上智大学体育会サッカー部の価値を高め」てくれた企画課。

3年生ながら学生監督として全権委任してしまったにも関わらず、最後まで責務を全うしチームを都リーグ優勝へ導いてくれた南出と、学生トレーナーとしてコンディション管理からパフォーマンス向上までを担い、チームの動きを司ってくれた田崎。

テーピングやボトルに始まり、タイムマネジメントやアイシング、怪我時の対応など、練習・試合に関わらず、日々目の前のサッカーに集中して取り組める環境を創造してくれたマネージャー。managerとはよく言ったものだと思う。

今年1年間、いろいろ思うことがあったかもしれないけれど、最後まで自分たち4年を運営代として支えてくれた後輩たち。

4年間喜怒哀楽を共有して、粗相ランを含め最後まで共に駆け抜けた同期。

初期から多くぶつかり合いながらも最後でやっと纏まりを見せられた幹部。


全員がいて作り上げてきた"学生主体"だ。

"自分"がいなければ成り立たないが、
"自分"だけで何とかなることなんかない。

みんながいるこその"自分"であり、
"自分"がいるこそのみんなだ。


だから自分は、

主将をやって嫌だったことなんて一度もない。

辛かったことも一度もない。



でも、

これまでの同期のブログには、
辛い思いを噛み締めながら過ごしていた仲間が多くいた。

彼らは他人には弱みを見せない。
本当にすごい人間だと思う。
本当に、本当に、ありがとう。

みんなのおかげで今年の上智があったと思う。

本当に感謝しかない。


そして、楽をさせてもらっていた自分だからこそ、
みんなよりちょっとでも「主将」であろうとした。



それは細部に拘ること。



特に、

「人の漢字を間違えないこと」と

「都リーグをリーグ戦と呼ばないこと」。


髙野、溝邊、橘髙、、、

本人たちがどう思っていたかはわからないけど。

(現にがくとが去年色紙に溝辺って自分で書いてたの見ちゃったから、、笑)

でも名前はその人の個性だから。
漢字が違えばもうその人じゃないから。

中学サッカー部引退式で、
心から尊敬している人が言った言葉が忘れられないから。

だから、中々学習してくれない予測変換にも負けなかった。


そしてもう1つ、
「リーグ戦」という言葉を使わないこと。

都リーグも、アイリーグも、サタデーリーグも、
全部リーグ戦だ。

リーグ戦 = 都リーグ
という認識が個人的にあまり好きではなかった。

チームの中心に都リーグはあるべきだけど、
どの試合も軽んじるべきではないはずだと。


拘りはただのエゴではあるのだけど、
この芯はブラさなかったつもりだ。

その上でどう思われていたかは、
もはや自分が決めることではない。

自分たちへの想いは、
来年以降それぞれの行動に是非ぶつけて欲しい。

いいなと思ったことは真似をして、
違うなと思ったことはどんどん改善して欲しい。

それでこそ、踏み台になりがいがあるというものだ。



楽をさせてもらった分、今年は更にサッカーへ貪欲になった。

4年間で初めて、チームの戦術と自身の強みがマッチする感覚を覚え、誰よりも成長できた。

間違いなく自分が1番サッカーが上手くなった。

間違いなく今が全盛期だ。



とは言ったものの、

別にこれでプロを目指すってわけじゃない。

実業団に入って週3.4?でサッカーをやろうってわけでもない。

多分サッカーは大好きだから、
一生辞めないと思うけど。


もっと高いレベルで勝負したい、という感情。

もっと高いレベルっていうのは、
何もサッカーだけではない。

自分は学生という守られる身分を卒業し、
これから社会人となる。

このフィールドでは、自分より何次元も上のレベルの人と戦っていかなければならない。

世界を相手に日本代表として戦わなければいけない。

会社の中で自立しなければいけない。

上司からコイツ使えるなと思われなければいけない。

後輩からカッコいいと思われる先輩にならなければいけない。



"カッコいい"は自分の原動力だから。
いつまでもカッコいい生き方をしたい。

上を目指そう、目指せると思えたのは、
間違いなくこの組織に所属したお陰だ。


他大学、他団体の引退ブログもたくさん読んだけれど、

やっぱりどの人もこのチーム最高!
って言っている。

それは全部本心だろう。
だからみんながみんな最高と思うように、

上智サッカー部も最高なんだ!



何でだろ、の答え。

それは挑戦に向けて腹を括ったからなのだろう。

18年間を通して、学生サッカーというステージで成長できる伸びしろは余すことなく使い切ったつもりだ。

最後の1年間は、
サッカー人生の集大成とも言えるシーズンだった。

それでも、自分はまた次のステージで成長する。

何故なら成長できる確信があるから。

だからあくまで、第1章終わり。

自分の物語はこれからも続いていく。

だから今日も英語を勉強しよう。

日本代表となる為に。

今日も明日も最高の1日にしよう。



最後に同期へ。

中高一貫のぬくぬくした環境で過ごしてきた自分は、入部当初、初対面のみんなとコミュニケーション取るのが怖かった。

特にまさみは高校の先輩だったしどう話していいのかわからなかった。顔怖いし。

そんな自分が編み出したコミュニケーション法。

みんなの誕生日を聞いて名前を編集して、その日ごとに学年グループにおめでとうLINEをしていたのは、今となっては懐かしい限りです。

今そのノートを見返すと懐かしい面々もいるわけだけども、、

良くも悪くも多様性に満ちた学年で、
たくさん走った分たくさん仲良くなれたよね。
本当に4年間が楽しかった。

2018年入部組+1名ありがとうね!!
これからも末長くよろしくね!

将来一緒に仕事できたらとか思うとワクワクする。

これからも上智大学体育会サッカー部のファンであり続けます!!

みんな頑張ろうぜ。

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