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「たった二つのこと」4年・池田 総一郎

今シーズン、ずっと一緒に前線で走りまくった三谷君から紹介いただきました、理工学部物質生命理工学科4年、背番号10 池田 総一郎です。


文章を書くことは得意ではないので、長々とした文章になってしまいましたが、最後まで読んでいただいて、「いいね!」してくれると嬉しいです✌︎
ここから文調を変えて始めさせていただきます。




僕が学生サッカーで1番頑張った事、それは「点を取る事」と「当たり前を続ける事」。



簡単そうな前者から話す。僕は年中からサッカーをはじめて、サッカー歴は17年になる。その半分以上をフォワードというチームの中で1番相手ゴールに近いポジションでプレーしてきた。


もちろん役割は点を取ってチームを勝たせる事。


先に断っておくが、僕は100回転んでも決してサッカーが上手くはない。そりゃ17年やってればこんくらいはできるでしょ、程度の技術はあるが、基本はちょっと足が早くてちょっと高く跳べてちょっとガッツがあるだけ。右足はある程度プレーできるが、左足なんてもうお話にならない。


だから、何から何まで親に感謝だ。



味方のトラップ、目線、ボールの状態、相手の体の向き、キーパーの位置、いろんな情報を一瞬で取り込んで、相手の意表を突く。いろんな条件がピタッと噛み合って、味方と目が合って、ボールが僕の求める位置に飛んできたあの高揚感は、こうして文章を打ってるだけでワクワクしてくるくらいだ。パスを受けてからはそのボールを何がなんでも相手のゴールにねじ込む。


これがまた難しい。



フォワードは、スポーツをやっていれば誰しもが感じたことがある、勝利の感動や得点の歓喜の瞬間の中心にいることができる。10本外しても1本決めれば褒めてもらえる。



僕はそんな瞬間を、この3年間の東京都大学サッカーリーグで24回も味わうことができた。今年、リーグ得点王になる事ができ、都リーグで1番点を取ったのは自分だと、自信を持って言える。でもこれは決して1人では成し得なかったこと。



羽藤のセーブ、泰志君・大智君・大陽・陽・祐成の気持ちの入った守備。押田君、古宮、辰丸からのパス。宗・諒・慎司のスプリント。菅のPK獲得。名前を挙げたらきりがないが、本当にたくさんの人の気持ちが入ったボールだった。そのボールを受け取る事が本当に楽しかったし、何にも変えられない僕の財産だ。



その象徴となるゴールがあった。2021年度都2部リーグ第17節。シーズンのチームの公式戦はこの試合を合わせて残り2試合。その試合で僕は不本意なファールで累積が溜まった。つまり、チームとしての最後の試合に、僕だけ出場権が無くなった。審判がイエローカードを持ったあの瞬間、僕の引退が決まった。トラウマってこの事。頭が真っ白になり、何も考えられなかった。あと20分で学生サッカーが終わる事を唐突に突きつけられ、必死に涙を堪えた。でもやるしかなかった。そこからの20分はあまり覚えてないが、すごく調子が良かった。あぁ、俺サッカー上手くなったなって我ながら思ったのを覚えている。


そして迎えた後半残り10分。髙野からの「総一君頼んだ」と言わんばかりのパス。最高のトラップから、ゴールに流し込んだ。俺の学生サッカー最後のゴール。涙が止まらなかった。グラウンドにいた全員が駆け寄ってくれた。親も見に来てくれていたその試合で、有終の美を飾る事ができた。


先ほども言ったが、僕1人では絶対に取れないゴールだった。あの場面で俺にパスを出してくれた髙野、俺を起用し続けてくれた南出、暑い日も寒い日も必死にサポートしてくれたマネージャーや前田さん、田﨑。忙しい合間を縫って来ていただいた藤田さん、試合マネジメントをしてくれた学連のみんな、本当はオフなのに見に来てくれたゆーたとちゃな。ここで上げきれないのが悔しいですが、本当にありがとうございました。



だからこそフォワードは、誰よりも泥臭く、献身的にボールを追いかけ、「点を取る」べきだと思う。そこに関してはこの3年間意識してきたつもりだし、来年以降南出にフォワードを任される選手には頑張って欲しいと思う。頼んだ。




もう一つ、「当たり前を続ける事」。


そんな事簡単だろと思うかもしれないが、その通りだ。難しくない。毎日練習に行き、しっかりストレッチをし、サッカーに向き合い、ゴールを動かし、声を出して仲間を鼓舞する。試合に向けて最善の準備をし、試合では精一杯走る。チームメイトと誠実に向き合い、自分の仕事をしっかり実行し、遊ぶ時は遊ぶ。


何も難しくない。当たり前のこと。でも、それでいいことを学んだ。



今までのブログでも書いたかもしれないが、僕は中学の時、フロンターレの下部組織でプレーした。仲間は市内トップクラスの選手ばかりでついていくので必死だった。というか、ついていけてなかった。


毎日の練習が怖くて、なるべくパスを受けたくなかった。練習後、塾に行くのを楽しみに練習を頑張ってた。3年間で出場した公式戦は、全部合わせて40分程度。いつかやめたいと思っていたし、親にもその許可は得ていた。


でもやめなかった。


「続ける」という事がどんなに大変で、どんなに苦痛だったか、今思い出すだけでも胸が苦しい。でもそれが本当に大切なことをこの3年間で学んだ。誇れるチームで誇れる仲間と共にプレーした3年間はかけがえのないものだった。


あそこでやめなくて、本当によかった。何も難しいことはしなくていい、当たり前の事を当たり前に実行し、自分が決めたことはやり通す。



高校では、その当たり前の水準を高める努力をした。選手/人としての二つの側面において、自分の出来る最大限の当たり前を行動に移した。


何かチームを改革したり、死ぬほど威厳があったり、フロンターレを名乗れるほどの実力があったわけでもない。ただ、目の前のボールを死ぬ気で追いかけた。先輩には挨拶をし、グラウンド外でも真面目に生活した。


そうして僕は3年生でキャプテンを任された。何も特別なことはしていない。でも、仲間や監督から認められ、信頼を獲得する事ができた。キャプテンになってからは、そこに責任が生まれただけで、やっていることは何も変わらなかった。それがよかったのかどうかは分からないが、僕なりのリーダーシップだった。



そして大学生。2年生から途中入部をさせてもらった僕は、スタートが遅い分人一倍貢献しなければと思っていた。グラウンド雑務、先輩とのコミュニケーション、毎日の練習、一つのプレーに全力を注いだ。


先日、高校からの愛すべき後輩である髙野が「サッカーに真摯に向き合い、そこに精を出す事が大事。むしろそれさえあればいい。」と言っていた。


本当にそうだと思った。体育会サッカー部である以上当たり前な事なのかもしれない。でもそれが1番大事だし、チームを作る上でそういった仲間が多ければ多いほど、素晴らしいチームになると思う。


僕はその高校で培った「当たり前」を大学でも続けた。そしてそんな僕を仲間は評価してくれ、副主将を任せてもらえた。僕はそこまで大したことはしてない。ただ当たり前を続けただけ。


でもそれでいいんだと思う。



ちょっと話は変わってしまうが、キャプテンの羽藤はいつも試合前、誰かにキャプテンマークを渡し、巻いてもらっていた。今シーズン18試合ある中、彼は初戦と最終戦に僕にキャプテンマークを渡してくれた。彼は深くは考えてなかったかもしれないが、嬉しかった。


僕は先述した通り累積で最終戦に出れなかったが、ここまで頑張ってきてよかったと思う瞬間だった。


羽藤ありがとう。



当たり前な事を部員全員ができるようになれば、今までよりもっと強いチームになると思うし、都1部リーグでも戦えると思う。誰かが人一倍頑張るチームより、一人一人が自分の目の前の事に全力で取り組む事ができるチームが強い。


(文調変わっちゃいます)


来年都1部リーグで戦う後輩。苦しいときに一歩、一声を出せる選手になってください。自分の「当たり前」の基準を少しだけ上げてください。今よりもっと強くなれると思う。試合に出てる人だけが上手くなって、頑張っても都1部リーグでは勝ない。論理とか戦術はもちろん大事、でもそうじゃない言葉にできない力や努力が都1部リーグでは必要だと思う。まじで応援してる、頑張れ!




ここまで読んでくれた方、拙い文書を長々とすみませんでした。ただの自己満文章になっちゃったかもしれませんが、後輩の誰か1人でもいいから、意識が変わるきっかけになってくれたらなと思います。




最後になりますが、苦境の中、我々を応援してくださった、保護者の方々や、大学関係者の皆様、トレーナーやOB・OGの方々、上智大学体育会サッカー部に関わる皆様本当にありがとうございました。皆様の支えがあり、私たち4年生は誇りと希望を持って引退をする事ができます。来年以降、後輩がまた歴史を作ってくれるはずです。今後とも上智大学体育会サッカー部への温かい応援のほどよろしくお願いいたします。


上智大学体育会サッカー部 #10池田 総一郎




続きまして、度重なる怪我で苦しい1年だったと、最後のスピーチで涙してましたが、同期の古宮はそれを笑って見ていました。でも後輩からの信頼は厚い中村 風人です。きっとアツいことを綴ってくれる事でしょう。みなさん、是非見ていってあげてください。

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