第3回配信 SBG3 やりたくないことは「やらない」から始めよう!
わたしの大学時代の友人に、徳島県鳴門市で私塾を開いている人がいます。彼はもともと並々ならぬ努力家ではありましたが、言語能力が高く、在籍大学の返済不要の貸与型奨学金を選考試験で勝ち得て、提携校のハワイ大学で言語学を学び、帰国後に鳴門教育大学大学院を修めました。大学院在籍中、地域の進学塾で講師のアルバイトをしていた彼は、のちに独立して、私塾を立ち上げました。
彼は、初めからそうしようと決めていたわけではありませんでした。大学時代、わたしなんかが就職活動をしているとき、彼は就活などをしていませんでした。その頃に彼と交わした内容は、おおむね以下のようだったと思います。
「俺、人付き合いが嫌いだし、会社に入って人と一緒に競争するの嫌や」わたしが、「そんなこと言ったって、誰かと付き合わなあかんやろ」、「競争だってしかたないやん」
わたしの考えは、受け入れる、我慢することだけが基準でしたが、彼は、自分に向いていない、やりたくない手段を耐えてまで、生活の糧を得ようとすることに抗(あらが)ったのでした。誰にも雇われずに、取り組んできた得意な分野を活かして人生を送りたいと拘(こだわ)ったわけです。
「やりたいことをやる」がベースというより「やりたくないことはやらない」というスタンスを貫(つらぬ)いたのでした。
働き出して10年くらい経った頃に、当時わたしが職を得ていた学校に、彼から電話が入りました。わたしが進路部にいたのを調べて知ったからなのかは不明ですが、塾生の進路先についての相談でした。要件が済んだ後、久しぶりということで、お互いの近況を話す機会となりました。
わたしからの塾経営は厳しいんじゃないかとの振りに対して、彼が言うには
「ここ(彼の塾がある町)は、そうでもないんや。大手の塾が進出するほどの規模には満たさず、でも、地域には学びたい子どもがたくさんいる」ということでした。
隙間(ニッチ)を攻めるパターンです。彼一人では、抱える生徒数にも上限があります。無理に、大きくする必要もありません。家族を養っていくことができるもので十分なのです。企業は必ず大きくしなければならないものではありません。
最初の塾生となったのは、彼がアルバイトで教えていた生徒たちです。その子たちを引き連れて独立してしまったわけです。成果が出たので、評判となり、彼らの後輩たちがまた噂を聞きつけて入部してくるといった具合です。ヘルプに入るアルバイト講師も大学院の後輩など自分が出た同じ大学院の院生を雇うわけですから、質も担保されます。
「やりたいこと」から始めてもいいでしょうし、「やりたくないこと」を避けた形で自分の得意分野を創っていく生き方もあるのです。
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