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なまえ、のこと。

今日からnote、始めてみました。

ぐるぐるぐるぐる。
日々頭を巡るさまざまなことを、書き留めておこうと思っています。
毎日とはいかないかもしれませんが、ゆっくりと、つらつらと。

どうぞお手柔らかにお願いします。


さて、早速・・・。 なまえ、のこと。

モノには必ず「なまえ」があります。
より正しく言うなれば、そうであるべきだと願っています。

いまあなたが目にしているモノ、手に持っているモノ。
そして、いま隣にいる人。

ぼくは、奏哉(そうや)という、なまえです。

音楽が大好きな父と母から、
▷ 周りの人との協調を大切に「奏」で、
▷ そして、みんなを感動させる人になって欲しい。
 (哉という字は「感動」をあらわす終助詞です。)
そう願いを込め、つけられたなまえです。

本当に素敵ななまえをもらったと感謝していますし、
なにより、ぼくは自分の「奏哉」というなまえが大好きです。

1つだけ厄介なこと。
それは、漢字に変換するときに1回では絶対に出ないということです。
珍しいなまえですもんね。
たしかに、同じ読み・漢字の人に出会ったことは一度もありません。

でも、だからこそ、こんな喜びもあるんです。
それは、ぼくにSNSやメールなりでメッセージをくださる人が、
「奏哉」と漢字で表記してきてくれたときです。

奏・・・「演奏」とか一度入力してから変換してるのかな?
哉・・・どうやって変換するのが一番手っ取り早いんだ?
     (いまだに自分でも分かっていません笑)

つまり、ぼくのなまえを呼ぶときに、
【ひと手間】かけてくださっているんです。
自分のなまえを'正しく'言ってくれる。
送ってくれた方は特に気に留めていないかもしれません。
でも、ぼくにとってこれは、とても嬉しいことです。
そんな些細なひと手間に、少しばかりの愛を感じてしまうんです。
いつもありがとう。

なんと表現すればいいでしょうか...
この喜ばしい感覚が自分の中に長い間ずーっとあるからか、
友人や知人のなまえを呼ぶときに、少しだけ神経質になってしまいます。

ルール、というほど立派なものではありませんが、なんとなく、
▷「君」「お前」などのいわゆる'二人称'は使わない。なまえで呼ぶ。
▷ メッセージなどで文字にするときは、できるだけ漢字で表記する。
とぼくの中で決めています。

また、周りの人のなまえを'正しく'呼びたいという心持ちからか、
他の人とは違った呼び方をしてしまう癖が、ぼくにはあるようです。

例えば、こんなことがありました。

ぼくが大学のころに入っていたサークルでは、入会時に自己紹介をすると、
そのサークル内での'ニックネーム'が周りの先輩たちからの提案で決められます。
本名や、それまでに周りの友人から呼ばれていたであろうニックネームとは
異なった'サークル内専用'のニックネームがつくことも、よくあります。

でも、ぼくは、この慣わしがなんとなく苦手で。

ニックネームをつける。それ自体はとても素敵で繊細な作業だと思っています。
なんと言っても呼びやすいし、周りのメンバーとも被らないようにという配慮とオリジナリティ。
その人にぴったりのニックネームだと、とてもとても愛着が湧きます。

ただ、なんというのでしょうか。
たまに、どうもしっくりきていない感じが...

普段なら全くといっていいほど空気の読めないぼくですが、唯一、
『そのニックネームは、その人自身が咀嚼できていないんじゃないか...』
という空気感だけは、なんとなく察知した、、、
というか、

『その人っぽくないよなあ』

大雑把にそう感じていたんです。
だからか、
ぼくだけが、いま決まったニックネームを無視して勝手に本名で呼んでいる、
なんてことが多くありました。


前に書きました。
なまえを'正しく'呼ばれることは、とても嬉しいことだとぼくは思っています。

【名は体を表す】
なんて難しいコトバを使うつもりはありませんが、
なんでしょう、
人にしてもモノにしても、ぴったりの呼び方ってあると思っています。

相手が喜ぶ呼び方、その相手とちょうど良い距離を築ける呼び方。

それが、ぼくの中での正しい呼び方、正しい'なまえ'です。


漢字の表記にしてもそう、ニックネームにしてもそう。

会社の上司(入社以来ずっとお世話になっているぼくのお師匠さん)は、
ぼくのことを「奏哉」と呼び(書き)、
ぼくもまた、彼のことを敬意を込めて下の名前で呼び(書き)ます。

それがきっと、ぼくらの適切な距離。
'正しい'なまえなんだと思っています。
(同僚たちは『あんなおっかないおじさんを親しげに呼ぶとか絶対に無理』だそうで笑)


これまでぼくに関わってくださった
会社や、学校の先輩たちについても同じです。

「○○先輩」と呼ばず「○○くん」と生意気に呼んじゃったりして。

でも、ぼくの心持ちとしては、それがその先輩との最適な距離なんです。
仲良くなりたいからこそ、
あえて生意気に、ぼくの思う'正しい'呼び方をしているつもりです。

・・・

なにを隠そう、
長々と面倒くさいことを綴ってきたのは、
これまでのこの生意気な態度への言い訳をするためです(笑)。

いつもごめんなさい。



稚拙な表現ですが、なまえはとても大切。

モノにしても、人にしても、
なまえがあるからこそ、そこに存在していられるんだと思います。

改めて、なまえを大切を考えてみる。
相手を呼ぶときに少しだけ丁寧に、気持ちを込めて呼んでみる。
普段ならひらがなで書くけれど、たまには漢字で正しく書いてみる。

そういった些細なことが、
父と母がぼくに望む【ハーモニー】を奏でるキッカケになればなと。
そんなことを考えています。




なまえのこと、書きました。


たったいま、

大学のころから仲良くしている、作家の友人のなまえ(漢字)を
新たにスマホの辞書に登録しました。
(こいつも1発で出えへんなまえしやがって)

また1人、大切な友人が増えた気がして、
起き抜けのコーヒーを飲みながら、ひとり微笑んでいます。



おわり


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