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在日コリアンの私が、産経の記事を読んで感じたこと・考えたこと   ~想像と逡巡、確固たる思い、祈りのような気持ち~                    2021.7.22

7/19付産経新聞の「児童に勝手な朝鮮名 東大阪市立小の民族学級、保護者の明確な同意得ず」という記事を読んで、どうしても伝えたい・発信したいという思いで、この文章を書きました。 

https://www.sankei.com/article/20210719-IS4XY25RS5ILNAHT7NVSX7BTJQ/


想像と逡巡
7/20の明け方、普段起きるよりずっと早い時間に目が覚めてしまいもう一度少し眠るつもりで私は何となく携帯のニュースを見た途端、産経新聞の記事のタイトルが目に飛び込んできた。一瞬で立ち上がる不安な気持ちを胸にこの記事をすぐに読んだ。読み進めて湧き出る様々な感情、言葉にならない思いがすごいスピードで頭を駆け巡りながら、読み進めた。もう一度読んだ。そしてその後何度も読んだ。当然眠る事はできず、仕事中もずっと頭からこの事が離れず、混乱の中で様々な事を感じ考えざるをえなかった。自分のためにも改めてそれらの事についてここで書きたい。

 記事を読んでまず初めに浮かんだ事は、在日コリアンが4世、5世と世代を継ぐ中、ダブルを含め生まれた時から日本国籍をもつ子どもも多く、背景が多様になっている中、自己のルーツが伝えらえる事の困難さと、ルーツを肯定的に捉える為の民族教育をどのように保障していくかという困難さを痛切に感じた。
 そして次に記事を読み進めながら脳裏をよぎったのは、この記事がどのように読んだ人々の中で反応され、どのような文脈で解釈されるのだろうという問いと、同時にすでに私の中で手に取るように想像されるその答え、それはつまりこの記事が表面的なあるいは偏った形で伝わり、民族教育や民族学級そのものが批判される事になるのではという大きな不安・危惧だった。 
出来るだけ整理して書きたい。

名まえについて思うこと
まず最初に、名まえを名乗る事、名乗られる事が「強いられる」ものであっては当然ならない。仮にボタンの大きなかけ違いがあったとしても、そのように当事者の子どもや親に感じさせてしまう結果になってはならないと思う。記事を読んで浮かぶお母さんが抱いたであろう理解されていないという思いや、困惑、怒り、悲しみを想像する。どうか長い時間をかけてでもお母さんの気持ちがケアされていく事を願うばかりである。
そして冒頭述べた、在日コリアンが世代を継ぐ中、どのような形で民族的ルーツを肯定的に捉えられる場や機会を保障できるのかという事を頭の中でぐるぐる考えた。ここからは答えのないひとりごとのような思考の羅列になる。
ダブルや日本籍者の増加という変化を踏まえた時、「本名」という言葉はそぐわないのではないか、抵抗をきっと感じるものになるのではないか。又韓国朝鮮籍の児童であっても今使用している日本名の通称名があった場合、普段の実体の名前を否定されているように感じさせる響きがその言葉の中にあるのではないかとも思った。でも一体何がいいのか、、「民族名」「ルーツネーム」「エスニックネーム」・・・いずれにしてもこれという答えはもてない。(恐らくこのような議論は様々に現場でされてきているだろうと推測する)極端にいえば日本国籍をもつ子どもが日本名のまま呼び呼ばれる中、同時に民族的ルーツを感じられる事が叶うならば一番いいと私は思っている。
一方、日本国籍の子どもが、民族学級の中で仲のいい友達や先生との豊かな関係性の中で、もう1つのルーツである韓国読みの名前で、その場では呼ばれる、名乗る事によって満たされる事やルーツへの肯定的感情が育くまれるケースもあるとも思う。
民族学級の取り組みで長年大切にされてきた、民族名を使用し、友人や先生との豊かな関係性の中で呼び、呼ばれる事によってこそ初めて育まれるセルフエスティーム(自尊感情)や、ルーツに対する肯定的感情が確かにあると私は考えている。
しかし恐らく答えは一つでない。いずれにせよ、名まえについては、いかに一人ひとり違う子どもに寄り添い尊重しながら、その子にとって(名まえにとどまらず)何が一番いいかを考える事が最も大切で、それがひとりひとりの子どものための答えになると思う。
ああだとも思う、こうだとも思う、どうしてもそのような文章になってしまうが致し方ない。逡巡している。

 国籍や世代の変化の中で、肯定的にルーツを伝えていく事の困難さを考えたとき、日本国籍に変更した在日3世と日本人の両親をもつ知り合いの子どもの事が頭に思い浮かぶ。明確には伝えられていないだろうその子のルーツ。彼は大好きなおばあちゃんと共に行くお墓詣りの墓石の横側に、民族名とルーツの故郷が記されている事をいつか両親に尋ねるだろう。その時、私も含め周りにいる大人はどのような形で伝え、寄り添えるのか。目の前で笑っている大好きなおばあちゃんが、在日2世として日本社会の中で経てきた歩みや苦労を、大人になってからでも歴史的理解の中で捉える機会をもちうるだろうかどうだろうか。
この記事が提示する様々なテーマに、頭の中が追い付かないぐらい思考がぐるぐるする。


回 想
少し私自身の子ども時分の民族教育にまつわる話をしたい。
 私は在日1世の父とニューカマーの母をもつが、韓国人である事は絶対に隠す事として教えられ小学生になった。(厳しい時代を生きてきた父は私を守りたかったからだ)。
小2と小3の夏休みに私は「ハギモイム」と呼ばれる同じルーツを持つ子が集まる民族教育の取り組みに3日ほど参加したのだが、初めて触れる自分の名前のハングル表記、チマチョゴリに料理、韓国の遊び、そして同じ在日の友達。私はいいようのない解放感を体感として感じていたのをはっきりと覚えている。とても楽しかったのだ。一度、母も親子参加という事で参加した事があったが、普段は友達が家に遊びにきても母には喋らないようにしてもらうという悲しくも屈折したルール(日本語の発音で日本人でないという事が分かるのを避ける為)が家庭の中にあったが、その集いでは母を隠さなくていい事に私はどこかほっとしていた気持ちを感じていた。しかし年に1度なので、私はまた一人、自分だけが在日の自分の学校の日常に戻ることになる。(本当はいたのかもしれないが、私の学校生活において中3になるまで自分以外の在日コリアンに出会っていない) ただ在日の部分では息苦しい私ではあったが、普段の学校生活は仲のいい友達や先生にも恵まれとても楽しく過ごしていた。でもそんな中、小4の時に周りの友達に自分の出自がばれそうになる事が何度かあった。子どもである周りの友達も韓国や在日に対する差別的なものを内面化しているせいか、やはり私にとってとても打ち明けられるような雰囲気は全くなかった。もし打ち明けたらたちまち攻撃の対象になるんじゃないかと思うやり取りもあった。
私はその時必死に「自分は日本人である」と伝え民族的出自を否定した。出生地が大阪市〇〇区と記載されている母子手帳まで家から持ち出して、「日本で生まれているから日本人だ」と子どもながらに考えた苦しい根拠を友達に差出し、日本人である事を証明したのだった。結果何とか子どもの私にとって「在日がばれる」という窮地を避ける事ができた。そしてその頃、大人になったら帰化する(日本国籍にする)とはっきり心に決め、又帰化しなかった父親を責めたりもした。そして小4の夏休み、再び「ハギモイム」の参加確認で先生が家庭訪問にきたが、私は事前に親に強く頼み断ってもらった。でも実は家庭訪問のその時、隣の部屋で先生にも親にも声が聞こえないように本当に文字通り声を押し殺して私は泣いていたのだ。そして机の引き出しに大事にしまっていた前年母が「ハギモイム」に参加した時に作ってくれたものを、私は真っ二つに、その時折ったのだった。それは紙粘土で作られ絵具でセットンに色付けされたチマチョゴリ姿の女の子のブローチだった。そして10代のどこかの過程でそのブローチは捨ててしまった。
 大人になってから何度かこの時のことを振り返るのだが、そのチマチョゴリ姿のブローチの女の子は私自身であり、私の心が折れてしまった時だったなと思っている。とても苦しい時期だったし、悲しい出来事であった。「日本人」である事を証明した小4のわたし。身を引き裂かれるようなアイデンティティの危機。当時子どもの私が感じていた事を言葉にすると「韓国や民族に関わる事はもう嫌だ」になるが、やはり本当はそうではない。私はハギモイムがとても楽しかったし安堵を感じていたのだ。母にブローチをもらった時、気恥ずかしさもありながらでも、とても嬉しかったのだ。(日本人の友達が遊びにきた時に見られないように引き出しの奥にしまっていたが。) だから、子どもが嫌だと感じるもののその奥に、何があるか?という事を大人は丁寧に想像し掬いとっていく事が求められるのではないかは思う。

捻じれについて、そして願い
私自身のケースでいうと、日本社会の差別や出自に関する否定的雰囲気を完全に内面化していた。またもう1つの10代の時の話としてだが、私は高校生の時たまたまとある民族団体の親世代の大人と会話する機会が一度ありその時「本名を名乗った方がいい」というような事を初めて会った関係性のない人に言われた事がある。反論しなかったが「私の事を何も知らないくせに」とその時に強い憤りや違和感をもった。そのような経験もあった在日の私が思うことは、在日コリアンの子どもも大人も、在日同士の集まりや団体にアクセスすること、またコミットする事はその「入口」の段階で「捻じれ」たものになりやすいのではないかという事だ。勿論ひとりひとりのストーリーは様々で全てがあてはまるとは思わないが、社会の人々の中にある差別的な否定的なものを内面化しているが故にそうなったり、周りのアプローチが本人にとって適切でなかったり等々の理由で、そのように捻じれてしまう事も少なくないのではないだろうかと想像する。
 在日の団体や集まり又その他、民族的なものとの出会い・関わりが、最初にあるいはその過程のどこかで、捻じれてしまった場合、その人が親になったとき、わが子の民族教育に対して当然否定的になる事が想像される。難しい事だがやはり親御さんと時間をかけて、学校側がより丁寧に信頼関係を作っていく事が今後はさらに求められるだろう。 民族教育に携わる先生たちとの信頼関係が育まれる中で、子どもの民族教育の場を通じて、結果的に親自身のルーツの肯定にもつながったらいいなと思う。現場の先生方の計り知れない苦悩を考えると、とてもハードルの高い難しい事を勝手に述べているのは分かっているけれど、願いとしてそう思う。
 自分の子ども時代を振り返るとき、自分の学校に民族学級があったなら、小4の時のあのような辛い思いをしなくては済んだのになと私は大人になってから思った。幸いにも20歳の頃、私は同じ目線で話し合える在日コリアンの友人たちに出会い、又色々なことを学べる機会ももてたからこそ、子ども時代の自分や自分を取り巻いていたものを振り返る事ができたのだ。そして今のわたしがいる。


確固たる思いと一番伝えたい大切なこと
話を再び記事の事に戻したい。
民族教育や名前について記事の中で出てくるお母さんと子どもについては、前述した様々な書ききれない複雑な思いを感じているが、一方この新聞記事の書かれ方に対しては憤りのような気持ちを感じてもいる。それは民族学級が生まれた日本の歴史的背景を全く伝える事なしに、在日コリアンのアイデンティティの問題を「個人の選択」としての視点だけで片付けているように私は感じたからである。(個人の選択がないがしろにされていいという話では全くない。むしろその逆である。)
 まず大前提として述べたい事は、日本の植民地支配の結果、日本で生きていく事になった在日コリアンの歴史があるという事、戦後から制度的社会的に様々な差別が存在していた(している)長い歴史があり、そのような中、子どもたちを守るために民族教育の場が生まれた事。弾圧を受けながらそれが公教育の学校という空間の中で保障されることは闘いの歴史でもあった事。その過程に保護者や民族講師の血のにじむような努力の歩みがあったという事、それらだ。
そして又、過去明らかに民族的出自によるいじめを受けた事で自死した子どもがいたという事も決して忘れてはならない。      
「個人の選択」というのは自由に選択可能な選択肢が平等にあって初めて「個人の選択」になりうると思う。 果たして在日コリアンの歩みに真に自由な「選択肢」が如何ほどあっただろうか。国籍にしても名まえにしても。
民族的出自を隠すか表象するかにしても。   

80年代以降制度的差別も少しずつ解消されていく中、2000年前後からの韓流ブームのおかげもあり、社会的雰囲気の大きな変化があった事は確かだと思う。しかし、やっぱりほとんど変わっていないのではないかと私が思わざるをえないのは、日本の根強く残る単一民族主義、単一民族国家観である。「日本人」か「外国人」かという二者択一思考。「日本籍」=「日本にだけルーツをもつ日本人」という事を疑わない思考。
私は1979年生まれの2世であるが私の父が渡ってきた時と私が子ども時代の時と、そして今、この思考様式は本質的にはあまり変化していないようにさえ思うのである。
言うまでもなく様々なルーツ・背景ももつ人がこの日本を構成しているにも関わらず。 

 今回の産経の記事を読んで、私が伝えたいこと。そしてこの文章を書いている一番の動機。                   
それは、「子どもは自分のルーツを知る権利がある」という事。
そして子どもには自己のルーツを肯定的に捉えセルフエスティーム(自尊感情)が育まれるための「マイノリティ教育が保障される権利がある」という事だ。 1990年発行された子どもの基本的人権を国際的に保障するために定められた「子どもの権利条約」にはそこに繋がる基本理念が謳われており日本も1994年に批准している。もし仮に条約がなかったとしても、子どものマイノリティ教育が保障されるべきだという事は、間違いない。

今回の記事が在日コリアンや民族教育の歴史的社会的背景を踏まえない中、人々に伝えられ、表面的にあるいは一面的に理解され、またそれがひいては民族教育や民族学級そのものを否定する言説や論調にすりかわっては決してならない。もしそのような事があれば、断固反対する。
 今回の記事での出来事を真摯にうけとめ、それを単に一過性の学校や民族教育に対する批判や揶揄だけで放り投げて終わらせるのではなく、この産経の記事を読んだ人に一緒に考えてほしい。
日本で生きる多様なルーツの背景をもつ子どもが、自らのルーツを隠したり否定する事なく自然に肯定的に捉え生きられるための教育を、どのように保障していけるかという事を。
それは何も教育の場に限られた事ではない。 ひとりひとりの大人が、「民族的マイノリティの子どもたちが豊かに生きられる社会とはどのようなものか?」という視点をもって、メディアや社会の雰囲気や日本の歴史認識やその他様々な場面において、立ち止まり、そのひとつひとつを見つめてみてほしい。

私は子をもつ親でもなく民族教育の現場に携わるものではないが、一緒に考えていきたいし考えずに生きていくことはできない。
また私は、民族的にはマイノリティだが、別のカテゴリーではマジョリティともなる。知らないうちに誰かの足を踏んでいないか?自分自身問わなければならないという事を在日の仲間と接する中で教えてもらったし、そのような視点をもてた事は在日コリアンとして生まれて本当に良かったと思える事のひとつである。


さいごに
今回の件の当事者であるお母さんの気持ちがケアされると共に、学校の先生たちとの関係がどうかときほぐされ、互いに理解されていきますように。
民族学級や民族教育にたいする偏った理解がどうか広がりませんように。
マイノリティの子どもたちが自己のルーツを否定せず、豊かに自尊感情を育める教育が保障されますように。 
はらはらする不安な思いの中で私は、いま祈るような気持ちでいる。

しかしどうしてもあの記事だけが流布されていく事が耐えがたく、誰かに少しでも伝えたいという一心で、また自分の心の整理のためにこの文章を書いた。とりあえずの出来ることとして。あの記事を読んだ人に一緒に考えてほしいとお願いした先ほどの問いを、自分自身に問う事を忘れることなく引きつづき、わたしも考えていきたい。