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医学教育は感情鈍麻システムか?

医学教育によって共感(empathy)が鈍麻するというエビデンスがある。ここでいう共感とは、医師の患者に対する共感である。

最初は、米国のM. Hojatによって2009年に報告されたものだ(Hojat et al, 2009)。医学部高学年で共感スコアが有意に低下するという研究結果であった。その後、各国から追試が相次ぎ、今年非常に興味深いレビューが出た。米国など西洋各国では高学年で有意に共感が低下するのに対し、日本を含む東アジア各国では共感は低下しない(やや向上する)というものであった(Ponnamperuma et al, 2019)。

この研究結果を信用するならば、日本における医学教育ではそれほど共感などの感情的側面に対する消耗は起こらない、ようである。少なくとも医学生の間は。しかしながら、上記レビューで挙げられてる日本の研究は横断コホート(ある時点での1年〜6年生のスコアを比較したもの)である点に注意が必要だ。日本から唯一出ている縦断コホート(1年生から同じ集団を6年間追いかけたもの)の研究結果では、共感スコアは入学時と卒業時の比較で、必ずしも上昇していない(Kataoka et al, 2019)。

私の経験から言うと、実際に医学生を見ていると、感情的な「鈍麻」に近いことが起きている。表情に乏しかったり、単純に「生気がない」。全員ではないが、多くの者がそうである気がする。さもありなんである。医学部のカリキュラムは「殺人的」である。医学部の教員の立場でこういうことを言うのもなんであるが、ときに医学生が可哀想になる。日々の膨大な勉強量に追われ、試験成績で徹底的に管理される。しかもこれが6年間も続くのである。最近ではプロフェッショナリズム(医師としての責務・倫理)の教育も強化されており、アンプロフェッショナルな行動は評価され、進学に影響する(これも、私は管理側の立場に立っており、こういうことを述べることも正直、いたたまれない思いである)。医学生にとっては、すべてが監視・管理される方向に進んでおり、逃げ場がないように感じているのではないか。

これは、ミシェル・フーコーが「監獄の誕生」で述べたように、学校・病院・監獄が似たようなシステムであることを示している。学校や病院というシステムが監獄のシステムと同じ構造になっており、ここにおいて学生(囚人)は監視・管理され、規律=訓練により、規範が内在化される。これによって、普通の「人」であった学生は、いつのまにか医学・医療の文化と規範が内在化された「プロフェッショナル」へと作り変えられるのである。

映画「パッチ・アダムス」において、医学部初日の授業で、医学部長がこんなことを学生たちに言う。

"It is our mission here to rigorously and ruthlessly train the humanity out of you, and make you into something better. We're gonna make doctors out of you."

「我々の使命は、君たちの人間性を厳格にかつ無慈悲に訓練し、君たちを少しでも良いものにすることである。つまり、我々は君たちから医師を生み出すのである。」

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