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構造を超える生成としての〈テクスト〉——クリステヴァの記号分析学

いうまでもなく、構造論的方法は、〈構造〉をはみ出すものに対しては、言及するすべを持ってはいない。構造主義は差異のシステムとしての構造を扱うものであるゆえに、〈構造〉以前のもの、以後のもの、〈構造〉をつくり出すもの、こわすもの、〈構造〉のなかに常に流入しているもの……等々を捉えそこない、結果として排除するべく、いわば当初から運命づけられていたといえよう。
構造主義ないし構造論的方法が当初から排除していたものにクリステヴァは注目する。この注目がなぜ必要かといえば、〈構造〉のみに視点を限定しているかぎり、実は〈構造〉の姿さえ十全の形で捉えることはできない、という根本的な構造主義批判がクリステヴァにあるからである。このような認識のもとに、記号学の分析において構造主義の乗り越えをめざした作業、それが『セメイオチケ』や『テクストしての小説』の試みであった。
これらの著述を通して浮かびあがってくるクリステヴァの構造主義乗り越えの戦略は、記号の閉域的構造の静態的把握であった構造主義的方法を、〈構造〉とその〈外部〉ないし〈他者〉との関係性の把握、〈構造〉の生成や変化の把握へと動態化し、記号 signe(シーニュ)およびその作用 signification(意味作用)を、構造とは異質の外部の現実との関係において捉えなおすことであった。

西川直子『現代思想の冒険者たち 第30巻 クリステヴァ——ポリロゴス』講談社, 1999. p.36.

ジュリア・クリステヴァ(Julia Kristeva, 1941 - )はブルガリア生まれ、フランスの思想家・精神分析家。パリ第七大学教授。25際のときブルガリアから渡仏し、ロラン・バルトのゼミに参加してたちまち頭角を現す。意味生成の動的過程への着目から当時支配的だった構造主義を批判し、テクスト論、記号論に新境地をひらく。さらに精神分析、女性論をも領野に収め、現代社会の硬直化に対して解体を試みている。主な著作に『セメイオチケ』、『詩的言語の革命』、『ポリローグ』、『恐怖の権力』、『愛の歴史=物語』などがある。

クリステヴァの功績は、当時一般的だったソシュールの構造主義的記号学を批判し、記号としての「テクスト」に〈構造〉の外部にあるもの、〈構造〉の動態的側面である意味の生成や変化の把握という視点を導入したことである。彼女はフロイト=ラカンの精神分析学の視点を応用し、それを「記号分析学」(sémanalyse:セマナリーズ)と呼んでいる。

ソシュールの構造主義言語学は、記号がシニフィアンとシニフィエという切り離すことのできない二面から構成されていて、その結びつきは恣意的性格を有しているということ、その記号のなりたちがこのように無動機的・非有縁的であるのは、記号が他の記号と異なっているという「差異」によってのみ成立しているから、つまり記号の体系とは「差異の体系」であるということを示した。さらに、記号の体系は物質的外界からは切り離された、閉ざされた構造をなしており、記号の意味作用は構造の内部の差異がもたらす現象として考えることができる。したがって、構造は外部へ向けて閉ざされているゆえに、構造には変化は生じない。つまり、変化という軸を構造主義は当初から捨て去っていたといえる。

しかし、クリステヴァは、この構造主義的方法の限界を指摘し、いかに乗り越えてゆくかの方向性を打ち出す。クリステヴァの問いとは、コミュニケーションの図式だけに閉じこもった言語学では説明することのできない〈意味の生産〉の過程を、いかに説明できるかということであった。これに対して、クリステヴァは、彼女独自の〈テクスト〉という概念をたてる。コミュニケーションの図式には一元化されないこのような実践に対して、ソシュール的なラング(言語)を基準においた言語学ではなく、超出=言語学(trans-linguistique)が必要になると彼女は言う。そして、そのような実践が繰り広げられている組成体を〈テクスト〉と呼んだ。〈テクスト〉は、情報伝達をめざす言葉からのみ成るのではなく、言語(ラング)の秩序を破壊したり再生したりする「異種の言葉」を形成している。〈テクスト〉はラングを用い、ラングの場に位置しながら、ラングの秩序を配分して、あらたな意味を生産する、超出=言語学的装置なのである。

この例として、クリステヴァは『ジャン・ド・サントレ』という小説を挙げる。彼女によれば、この小説は、複数の書物を潜在させた書物であり、そこには、先行する、あるいは同時的な、さまざまなテクストが併在している。この書物に潜んでいるさまざまな書物とは、たとえば、ソクラテスやカント、セネカやルカヌス、福音書や聖パウロ、聖ベルナルドスや聖アウグスチヌスといった古代・中世の幾多の書物であり、さらには、武勲詩や宮廷風恋愛詩、カーニヴァルの仮面劇の言述などである。このときテクストは、外にある別のテクストとの、先行する異質の文学資料との、絶えざる対話となり、すでに過ぎた時間(歴史)や社会の組み入れとなっている。このことをクリステヴァは「間テクスト性」(intertexulalité, アンテルテクスチュアリテ)という概念で捉える。もろもろのテクスト間の相互置換の関係性という意味を示すこの概念は、ミハイル・バフチンの文学理論を基礎にし、それをさらに拡大するかたちで構築した、クリステヴァ独自のテクスト概念である。「間テクスト性」については、クリステヴァの著作『セメイオチケ』でも詳述されており、過去記事も参照のこと。

クリステヴァは、〈テクスト〉が記号空間の「外部」あるいは「他者」との相互作用をつねにおこしており、それが変化しない静的なものではなく、動的なものであることを分析する実践として超出=言語学を、フロイトの精神分析にならい「記号分析学」(sémanalyse:セマナリーズ)と呼ぶ。記号分析学とその対象であるテクストは、言語を横断し、踏み越え、突き抜ける異質的性格を有する。言語とは異質な、このあたらしい言語空間は、意味が産出される場として、記号が異質的に働く場である。この空間がおこなっている操作は、構造的な言語把握のもとにある意味作用の範疇を踏み越え、超え出ている。それゆえ、クリステヴァは、記号分析学が取り組むその空間の働きを、意味の生産・産出作用という言葉=〈意味生成性〉(signifiance, シニフィアンス)という概念で捉えなおす

クリステヴァが、構造主義言語学を乗り越える形で新たな地平を切り開いていったその背景には、彼女の出自が関係しているかもしれない。クリステヴァの師であるロラン・バルトは、ブルガリア出身の彼女を「異邦の女」とあだ名づけた。彼女自身もフランスの言論界に身をおいたときに、自分の「異邦性」を強く意識したという。そして、彼女が当時西欧にはほとんど知られていなかったロシア・フォルマリズムの理論やミハイル・バフチンの文学理論を応用する形で新たな記号論を提唱したとき、まさに西欧にとって異邦・異質なものだった概念や理論が持ち込まれたと言うことができるだろう。そして、クリステヴァの〈テクスト〉の理論自体が、構造の「外部」つまり「異邦・異質なもの」に注目することによって展開されているのである。


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