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人間は人間であるというただ一つの資格によって平等である——金子文子『わたしはわたし自身を生きる』を読む

私はかねて人間の平等ということを深く考えております。人間は人間として平等であらねばなりませぬ。そこには馬鹿もなければ、利口もない。強者もなければ、弱者もない。地上における自然的存在たる人間の価値からいえば、すべての人間は完全に平等であり、したがってすべての人間は人間であるという、ただ一つの資格によって人間としての生活の権利を完全に、かつ平等に享受すべき筈のものであると信じております。

『金子文子 わたしはわたし自身を生きる〔増補新板〕:手記・調書・歌・年譜』梨の木舎, 2006. p.320.

金子文子(かねこ ふみこ、1903 - 1926)は、大正期日本のアナキスト(無政府主義者)。23歳で獄中死した。壮絶な人生であった。関東大震災の2日後に、治安警察法に基づく予防検束の名目で、恋人である朝鮮人朴烈と共に検挙され、十分な逮捕理由はなかったが、予審中に朴が大正天皇と皇太子の殺害を計画していたとほのめかし、文子も天皇制否定を論じたために、大逆罪で起訴され、有罪となった(朴烈事件)。後に天皇の慈悲として無期懲役に減刑されたが、天皇の特赦状を破り捨て拒絶。最期は刑務所内で首をくくり自死した。

本書『わたしはわたし自身を生きる』は、文子が死ぬ前に書いた獄中手記と取調調書から主に成っている。手記には幼少時からの体験が綴られており、「無籍者」として蔑まれ、肉親からも虐待された悲惨な境遇が語られる。一度は死を決意した文子だったが、知識を学ぶことで「復讐」すると考え、再び生きる希望を抱く。そして、文子が受けた「被差別」の体験が、日本人による朝鮮人への差別を目前にして、それに抗い、抵抗のたたかいに立つ朝鮮人への共感や連帯の思いへと育っていく。

彼女の思想は、無政府主義であり、反天皇である。彼女の反天皇の思想は、理論ではなく、彼女の生き方そのものが「反天皇制」であった。あらゆる権威、権力を否定し、人間の絶対平等を求めた。それは彼女が「無籍者」として日本人からも差別され、虐待されたことと関係しているだろう。そして彼女は、自分自身の明確な言葉でこう述べるのである。「人間は人間として平等でなければならない。すべての人間は完全に平等であり、すべての人間は人間であるというただ一つの資格によって人間としての生活の権利を完全に、かつ平等に享受すべきである」と。これは、誰から教わったわけでもなく、23歳の文子が、自身の壮絶な人生経験から培った、血肉の通った思想なのである。

大正時代の当時、天皇制を否定することは命の危険を賭す行為である。考えをあらため、転向を強要する周囲の官吏たちを前に、文子は断言する。

だがね、将来の自分を生かすために現在の自分を殺すことは私は断じてできないのです。
お役人方君らの前に改めて勇敢に宣言しましょう。「私はね、権力の前に膝折って生きるよりはむしろ死してあくまで自分の裡に終始します。それがお気に召さなかったらどこなりと持って行って下さい。私は決して恐ろしくはないのです」。

(上掲書, p.304)

非常な厳しさを感じる思想、言葉だと感じるかもしれない。しかし、彼女が求めていたものは、人間の根源的な「自由」であった。それはさまざまなものが彼女を抑圧し、自由を奪い、暴力をふるい、彼女を自由なき牢獄へと拘束した彼女の生い立ちによるところが大きい。その中で、「人間が自由になるためには」ということを問い続けて到達した思想だったと言えるだろう。そして、彼女の思想は、実は人間への愛、やさしさにあふれている。虐げられ、いじめられ、差別されてきた彼女だからこそ、死の淵まで覗いて見えてきた人間の生の本質があった。それこそが、人間は、人間であるという唯一の資格をもって根源的に平等であるはずだという思想だったのである。

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