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ポストコロナに必要な「新しい冗長性」——西田亮介氏『コロナ危機の社会学』より

公衆衛生や医療も「改革」圧力に晒され続けてきた。この間の医療制度改革では、増大する医療費と関連費用抑制のために、地域医療の機能分化と役割分担、病床数削減が進められてきた。良くも悪くもSARS、MERS、新型インフルエンザ危機を軽微に乗り越えた感染症対策も、これまでは直接利益を産まないコスト部門としての認識が強かったはずだ。(中略)感染症拡大に際しては、これまで有事において、きめ細やかな対人サービスの担い手となったNPO等の非営利組織も十分に活動できず、むしろ彼らを支える措置が乏しく、各所で厳しい状況に追い込まれるなど公共の担い手不足も露呈した。
有事に際しては、多様な資源の組み換えや配置換えによる対応も求められる。その際には冗長性が必要だ。イノベーションの源泉も余剰と余力である。改革の反動で冗長性が毀損されていないかという検証が必要だし、恐らくかつてのようなムダと同義であることは社会が許さないはずだ。

西田亮介『コロナ危機の社会学:感染したのはウイルスか、不安か』朝日新聞出版, 2020年. p.203-204.(太字強調は筆者による)

著者の西田亮介氏は1983年生まれの社会学者。専門は公共政策、情報社会論。東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授。著書に『なぜ政治はわかりにくいのか:社会と民主主義をとらえなおす』(春秋社)、『情報武装する政治』(KADOKAWA)などがある。

本書は新型コロナウイルス第一波がおさまった頃の2020年6月に執筆されており、その社会学的な分析は翌年以降に私たちが体験した本格的な流行の前の段階にとどまっている。にもかかわらず、2020年の年明けから半年間という私たちの混乱と不安が極大化していた時期の社会学的な分析ということで、一読の価値がある本である。

本書の鍵概念は「感染の不安/不安の感染」、そして「予見可能性」である。その分析は、主に社会学における「リスク社会論」に基づいている。つまり、リスクへの(科学的、技術的、政策的、社会的)対応が、いっそうの派生するリスクを生み出し、連鎖させ、ときには不可逆的事態を招きうるということが、高度に科学技術が発達した現代社会の特質である。社会学者のジグムント・バウマンは、社会は「管理できないもの」にリスクを見いだすと述べる。

近現代社会は、主に科学と管理の技法、両者の組み合わせを発展させることで、混沌とした世界を理性と論理(計算可能性)によって見通し、管理の可能性(予見可能性)を広げてきた(社会学者のベックやギデンズの議論)。しかし、今回のような危機においては、「感染の不安/不安の感染」という事態が出現する。「感染の不安」とは主に感染拡大という事実を中心にした認識であり、「不安の感染」とはその認識がメディアやSNSといった情報通信網を通じて容易かつ即座に、そして広範囲に拡散されていく現象である。両者は相互作用しており、どちらがどちらかの原因になっているというよりは、相関・循環する関係にある。

そして、そのような状況において人々の「予見可能性」は低下したり、揺らいだりする。予見可能性とは「何らかのかたちで安定性が担保された社会の先行きについての見通しのこと」と西田氏は説明する。予見可能性は、妥当性とも異なるし、計算可能性とも同義ではない。認識の問題ゆえ、しばしば間違える。一般的に、情報量が多いと予見可能性は低下する。情報量が多くても、適切なガイドやナビゲーションがあれば予見可能性は維持される。西田氏は、日本の場合、厚労省が情報過剰性(とそれに付随する不正確な情報)に対するいくつかの試行的な取り組みを行なったが、社会の予見可能性低下を念頭に置いた一貫した丁寧な対策は取られなかったと批判する。

今回の危機において、リスクに対する「感染の不安/不安の感染」と、それに続く「予見可能性の低下」によって、さまざまな混乱や政府への不信・批判が起こったのではないか。そして、構造的問題としての「機能的なジャーナリズムの欠落」や「リスク/クライシスコミュニケーションの失敗」、さらには新しい問題としての「マスメディアとSNSの共犯関係」や「インフォデミック」が今回の事象の根底にあったと、西田氏は分析している。

過去に新型インフルエンザが流行し、パンデミックに対する社会的対応のプロトコルやガイドラインは作成されていたし、今回の政府の初期対応もそれに則ったものだったにも関わらず、日本においては国民の政府への信頼低下は諸外国と比べて顕著だった。私たちは今回の危機を「忘却」せずに、次のパンデミックに対して確実に備えていく必要がある。そのとき、リスク管理という計算可能性の観点だけではなく、人々の不安や認知に関する「予見可能性」の観点からも十分な対応をとるべきではないか。そのためには、政府の取り組みだけではなく、マスメディアの姿勢、そしてSNSを利用する私たちの行動にも反省と見直しが必要とされるだろう。

そして、本書の最後に西田氏が強調するのが「新しい冗長性」である。ムダ削減やコストカット、効率性追求などの「計算可能性」ばかりを追求してきた私たちの姿勢を見直し、「予見可能性」についても考慮に入れた対応、つまり、単なるムダのある仕組みではなく、複数のリマインダー機能や多様な資源を伴った「新しい冗長性」のある体制の構築が重要であると言えるだろう。


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