見出し画像

ポスト社会主義の政治——準大統領制とコアビタシオン

本書の分析は、準大統領制はポピュリズムを慰撫し馴致する点ではそれなりに有能なのに、国の内政にまで浸透してくる地政学的対立を抑制する点っでは、ほぼ無力であることを明らかにした。準大統領制は、対立する政党や民族集団にポストを配分することで対立抑止の効果があるとしばしば言われる。民主化の第三の波の中でアフリカの旧仏・旧葡植民地諸国が準大統領制を採用した理由の一つがこれであった。しかし旧共産圏の文脈では、左右コアビタシオンやリベラル・ポピュリストのコアビタシオンに比べて、地政学的なコアビタシオンの対立抑止効果はないようである。

松里公孝『ポスト社会主義の政治——ポーランド、リトアニア、アルメニア、ウクライナ、モルドヴァの準大統領制』ちくま新書, 2021. p.371-372.

政治学者の松里公孝氏が、ポスト社会主義の政治について解説した本である。1991年にソ連が崩壊した後、かつてのソ連・東欧地域には30以上の国家があるが、そのうち(2020年10月現在)27の旧社会主義国が「準大統領制」と呼ばれる体制を採用している。準大統領制とは、国民が選挙で選ぶ大統領と、首相が併存する体制である。つまり、旧社会主義諸国においては準大統領制を選んだ国が圧倒的に多いのである。本書では、準大統領制というコンセプトを通じて、旧社会主義諸国の現代史を、特にポーランド、リトアニア、アルメニア、ウクライナ、モルドヴァを事例として考察している。

準大統領制という概念を最初に提案したのは、フランスの著明な政治学者モーリス・デュヴァルジェであった。彼は、シャルル・ド・ゴールが打ち立てあフランス第五共和政の観察に基づき、従来、政治体制を分類してきた「大統領制」、「議会制」という二範疇に加えて、「準大統領制」という第三の範疇を提唱した。準大統領制の特徴は「コアビタシオン(共存政権)」を生み出すことである。「コアビタシオン(Cohabitation)」とは、フランス語で「同居」「同棲」を意味する言葉で、 所属勢力の異なる大統領と首相が共存する状態を指す。この言葉が政治学用語となったのは、フランス第五共和政において、1986年、社会党のフランソワ・ミッテラン大統領が、議会選挙に勝った共和国連合党首のジャック・シラクを首相に任命せざるを得なかったときだった。

本書が分析した、ポーランド、リトアニア、アルメニア、ウクライナ、モルドヴァの5カ国は、地政学的な意味で大きく二つに分かれる。ウクライナ、モルドヴァが2008年以降に国際的な地政学的な競争の激化に巻き込まれたのに比べて、それ以外の三国は(地政学的な危機が低かった代わりに)国内で台頭したポピュリズムをどう捌くかという課題に政治体制が直面したのである。著者の分析では、準大統領制のコアビタシオンが、ポーランド、リトアニア、アルメニアの三国では、ポピュリズムを慰撫し馴致する点ではそれなりに有効であったとする。旧共産圏の文脈では、左右コアビタシオンやリベラル/ポピュリストのコアビタシオンは対立抑止効果がある程度発揮された。しかしながら、ウクライナ、モルドヴァにおける地政学的なコアビタシオンの対立抑止効果はあまり見られなかった。例えばウクライナにおいては、2006-07年にユシチェンコ大統領とヤヌコヴィチ首相のコアビタシオンがあった。しかしそれは、その後に来る紛争の序曲でしかなかったと言える。

「あとがき」の最後に著者は、「大国間の地政学的な競争が激化するとき、両陣営の間に位置して奪い合いの対象になる小国の脆弱なデモクラシーをいかに守るか」という課題を挙げる。学術的な課題を超えてまたたく間に人道的な問題となるからである。歴史を振り返れば、第二次世界大戦開戦時にドイツとソ連に挟撃され国土を失ったポーランドのことが思い起こされる。近年では、ロシアと西欧諸国の間の地政学的な紛争の地となり、2022年にはロシアによる本格的な侵攻がはじまったウクライナがまさにそれである。本書の発刊は2021年であり、翌年のウクライナ侵攻をまさに予言しているかのような言葉であった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?