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詩とは何か——ヤノーホの『カフカとの対話』より

「そう」とカフカは応えた。「これこそ詩というものです——友情と愛の言葉を身にまとった真実です。われわれの誰もが、棘だらけの薊(あざみ)から優雅な棕櫚の木にいたるまで、すべてのものが頭上の天空を支えています。満天の重さが、われわれの世界の満天の重さが崩れ落ちぬために。われわれはものを越えて、見なければいけない。たぶんそれが、ものにより近づく道なのかも知れません。きょうの街での出来事はお忘れなさい。(中略)
印象から認識にいたる道のりは、しばしば遠く、そして困難です。しかもたいていの人間は、脚の弱い旅人にすぎません。彼らが私たちに向かって、壁にでもぶつかるようによろけるときには、彼らを宥(ゆる)さねばなりません」

グスタフ・ヤノーホ『カフカとの対話:手記と追想』みすず書房, 2012. p.64-65.

グスタフ・ヤノーホ(1903 - 1968)は、チェコの作家。1920年ヤノーホは17歳で、20歳近く年の離れたフランツ・カフカと出会った。以来ヤノーホはカフカのもとをたびたび訪れ、またカフカも彼の才能を評価した。第二次大戦後、ヤノーホは無実の罪によって13ヶ月間の拘留を受け、この間の非人間的な体験のなかでカフカに関する手記を出版しようと思い立った。ヤノーホは、カフカの存命中に書き付けていた自身の手記やメモなどを探し出し、それらに回想などを加えて、1951年に『カフカとの対話 (Gespräche mit Kafka)』として出版した。カフカの恋人ドーラ・ディアマントや、友人マックス・ブロートは、この手記を読むとフランツ・カフカが目の前にいて話しているように感じると評価された。(Wikipediaより)

冒頭の引用は、若き詩人ヤノーホに、カフカがある詩を紹介した後の言葉である。あるとき、ヤノーホは持病の三叉神経痛の発作を街中で起こしてしまい、壁にもたれかかって発作をやりすごしているときに、通りすがりの婦人に酩酊していると勘違いされ「あの酔っ払いをご覧、まるで豚だよ」と心ない言葉をかけられる。ヤノーホはカフカの元を訪れ、その苦しい胸中をカフカに吐露する。すると、引き出しからカフカはある雑誌を取り出し、その中の『ポコラ(謙虚)』という詩をヤノーホに読むように言うのである。その詩は以下のようなものである。

僕は小さくなる いよいよ小さくなる
やがて地上でいちばん小さいものとなる
朝まだき 夏の草原で
僕はいちばん小さい草花に手をさしのべ
花のそばに顔を埋め
ささやく
「靴もなく着物もない 吾子(あこ)よ
空は 輝く朝露の玉をもて
わが身を支える お前を頼みとて
満天の重さを
かけて」

チェコの抒情詩人イジー・ヴォルケルの詩より

当時、悩み多き若者だったヤノーホにとって、カフカはどれだけ偉大な師に見えていたことだろうか。まだ寡作だったとはいえ小説『変身』を出版している尊敬すべき作家であり、言葉というものの深みと重さを知っている文学者としての先達であり、悩みを打ちあければ真理に裏打ちされたかのような美しい言葉で諭してくれる人生の導き手だったのである。

心ない言葉をかけてきた婦人を批難する言葉をヤノーホは口にする。しかしカフカは優しく「そんなことを言うものじゃない」と諭す。そして処方箋としての「詩」を彼に与える。自らも詩をつくり「言葉」というものの重みを知るヤノーホに対して、「詩」というものが私たちにとって何を意味するのか、それは「友情と愛の言葉を身にまとった真実」であり、「世界の満天の重さが崩れ落ちぬために天空を支えるもの」であると、カフカは友愛をもって、ヤノーホに語ったのである。




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