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過去の幻影と自己同一性―マインドフルネスの考えより

マインドフルネス(mindfulness)という考え方あるいは実践がある。

日本の「禅」が逆輸入されたものだ、という説明もあるが、仏教の、特に上座部仏教の流れが西洋に紹介され広まったもものとされる。

ティク・ナット・ハン師という方がいらっしゃった。つい先日、逝去された。師は1960年代から社会に働きかける仏教、応用仏教(applied Buddhism)を実践し、ベトナム反戦運動でフランスに亡命した後、そこでプラム・ビレッジというコミュニティをつくられた。そして世界にマインドフルネスの教えを広められた。

師の本を読んでいて、とても心に残っているところがある。それは、人は過去の断片的な記憶を、まるで映画のスクリーンに映すように繰り返し再生してしまうということだ。それは幻影にすぎないことは、実際に映画のスクリーンに触ってみても、そこに実際の人物がいないのと同じことである。

私たちは、一瞬一瞬、新しい自分に変化を続けている。物質的にもそうであるし、私たちの脳内神経学的状態や認知状態もそうである。しかし、私たちは過去の記憶を繰り返し再生することで、それが「自分」を構成していると思いこんでいる。

例えば、子どもの頃の古い記憶。母に言われた冷たい一言で傷ついた自分。友人に言われた言葉で落ち込んだ自分。それはいわゆる「トラウマ(心的外傷)」のように、繰り返し自分の中で再生され、それが自分の過去や性格、今の自己同一性を構成していると考えている。

「マインドフルネス(mindfulness)」とは、それらがすべて幻影にすぎないことに「気づく」ことである。インドの古い言語パーリ語で「気づき」を意味する「サティ」が英語に翻訳されたものが「マインドフルネス」である。

それに気づくために、毎日のように実践(プラクティス)が必要となる。それが瞑想であったり、マインドフルな実践であったりする。そんなに難しいことではない。座って瞑想(座禅)をしなくてもよい。歯を磨きながら、ご飯を食べながら、歩きながらといった形でもできる。そうすると、過去の幻影への囚われが少なくなっていき、それを手放せるようになっていく。

と、ここまで書きながらも、過去の記憶って、やっぱりそれを後生大事に繰り返し脳内再生してしまうなと思う。嫌な思い出もあるけれど、幸せだった記憶もあるからだ。それを忘れる必要はないだろう。大事なのは、今現在を大事にすることであり、目の前の状況にうまく対処して、幸せに生き、自ら未来を切り開いていくことではないか。そのためのヒントがマインドフルネスにはある。

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