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西郷隆盛の「敬天愛人」の思想——『南洲翁遺訓』を読む

二一 道は天地自然の道なるゆゑ、講学の道は敬天愛人を目的とし、身を修するに克己(こっき)を以て終始せよ。己れに克つの極功(きょくごう)は「毋意毋必毋固毋我(いなしひつなしこなしがなし)」(『論語』)と云へり。総じて人は己れに克つを以て成り、自ら愛するを以て敗るるぞ。……
(訳文)
人が踏み行うべき道は、天から与えられた道理であって、上に天があり下に地があるように、当たり前の道理であるから、学問の道は天を敬い人を愛するということを目的として、身を修め、つねに己に克つこと(意志の力で自分の衝動や欲望を制御すること)に努めなければならぬ。  
己に克つための極意は、『論語』に「意なし、必なし、固なし、我なし」、すなわち、私欲を貪る心をもたないこと、自分(我)を必ずとおそうとはしないこと、こだわりの心をもたないこと、さらに独りよがりにならないこと、の四つをつねに心がけることである。  
全体に、人は自分に克ってこそ成功するのであって、自分を甘やかそうとすればきっと失敗するものなのだ。

西郷隆盛・猪飼隆明『新版 南洲翁遺訓(ビギナーズ日本の思想)』角川ソフィア文庫, KADOKAWA/角川学芸出版. Kindle 版. p.82-83.

西郷隆盛(さいごう たかもり、1828 - 1877)は、幕末から明治初期の日本の政治家、軍人『南洲翁遺訓』は、西郷隆盛の遺訓集であり、旧出羽庄内藩の関係者が西郷から聞いた話をまとめたものである。遺訓は41条、追加の2条、その他の問答と補遺から成る。「西郷南洲翁遺訓」、「西郷南洲遺訓」、「大西郷遺訓」などとも呼ばれる。

第21条が西郷の揮毫でよく見られる「敬天愛人」についてである。この「敬天愛人」は、西郷の生涯を貫く思想を最も簡潔に表現した句であると言われる。西郷は「敬天愛人」と揮毫した書幅をいくつも残しており、西郷自筆が確実であるものは10幅、そのうち9幅が今もその存在を確認できるという。それらにつき、書体・印鑑等についての詳細な考証の結果、これらはみな、1874年(明治7年)後半から翌75年(明治8年)9月までの間に揮毫されたものであることがわかっている。つまり、「敬天愛人」という思想を西郷が獲得したのも、比較的晩年になってからであることが想像されるが、その由来については、これまでも種々に議論されている。

実は、明治維新以前に西郷が「敬天愛人」という言葉を使った形跡はない。つまり西郷のこの思想は、維新以後に獲得されたものであり、また南洲翁遺訓のこの文章は、征韓論争破裂後、郷里にある西郷を訪ねて鹿児島を訪れた旧庄内藩の者たちに明治7年あるいは8年に話した言葉だろうと思われる。

西郷の「敬天愛人」はどこに由来するのだろうか。「敬天」や「愛人」という言葉は儒学の伝統のなかではよく使われた言葉であったが、それらをまとめて「敬天愛人」と表現した儒者は、少なくとも江戸末期まではいなかった、と井田好治はいう。
井田は、サミュエル・スマイルズ原著『セルフ=ヘルプ』(1859年)を、中村正直が訳出して発刊した『西国立志編』が、「敬天愛人」の由来ではないかと推測している。この本ではイギリスの議会について述べられており、議会の「民委官」(議員)に選ばれる者は、学を修め、「天を敬し人を愛する」の心を持った者で、私欲を捨て、われ一人のことだけを考えるようなことをしない努力をしている者だと言っているのである。

しかし、中村正直は、この『西国立志編』で初めて「敬天愛人」を使ったのかといえばそうではないという。すでに明治元年に「敬天愛人説」という一文を草していたのである。中村は、キリスト教の神(God)を儒教の立場から理解しようと試み、「敬天」と「愛人」について説明しているのである。中村にとっての「天」は、宇宙創造の神ではなく、万物の生成発展の主宰者であり、儒教の「天」の概念に近い。

西郷は、おそらく中村の『西国立志編』を読み、「敬天愛人」の言葉に接したが、それを儒教、特に陽明学の考えから理解したようである。陽明学は、南宋の陸象山に起原があるが、王陽明がそれを発展させた。陽明学では、人の性情の自然状態を認め、その性情を貫く心の本体こそが、人の心に先天的に具わっている天理なのだとして、心がその天理を直覚する能力を「良知」と呼ぶ。人には、真に知り行う能力が具わっているのであり、このような能力を「良知良能」といい、略して「良知」と呼ぶのである。この良知は、われわれの道徳的判断の標準ともなる。つまり「良知」は、「人間に固有なる道徳的直観力、もしくは直観的道徳力」といえる。

では、我々はどのようにしてこの「良知」に目覚める(到良知)ことができるのか。陽明学では「物を正す」こと、つまり心の不正を正すことなのだという。そのためには、実践を通じて心を練ることが重要となる。これを陽明は「知行合一(ちこうごういつ)」と呼ぶ。この「知」とは、人間の実践に結びついたものでなくてはならない。政治とか道徳といった実践に裏付けられた「知」だけが真の「知」なのだというのである。これが西郷隆盛の「敬天愛人」の思想にもつながっている。

敬天愛人の思想を、陽明学の考えからひもとくと以下のようになるだろう。本来善であるべき性は、人欲によって曇らされている。一方、人欲を払い善なる性を明らかにする道徳的本能をまた、人間は持っている。その道徳的本能に働きかけるため、聖賢の書を読むだけではなく、自らの弛まぬ道徳的実践を続けなければならない。人の目の届かない所でも道徳的実践を怠らず、聞こえない声に耳を澄ませ、それを大事に思う心がなければいけない。天の意を謹んで敬い、天が万物を愛したように、人を愛さなければならない。そして、そのためには自らが徳を実践し、行わなければならないのである。

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