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最高の数学は美しいばかりではなく重い——ハーディ『ある数学者の弁明』より

最高の数学は美しいばかりでなく、重いのである。——「重要」という語を使ってもよいが、この言葉の意味は非常に漠然としている。「重い(シリアス)」という語のほうが、私の言いたいことをよく表している。
私は数学の「実用的」な価値を考えているのではない。(中略)つまり、数学に実用的な使い道は殆どない。そして、あったとしても比較的つまらないものである。数学の定理の「重さ」は、その実用上の重要性(これは普通無視してもよい)にあるのではなく、定理が相互に結びつける数学的な諸概念(アイデア)の意義にある。

G.H.ハーディ/C.P.スノー『ある数学者の生涯と弁明』丸善出版, 2012. p.23.

ゴッドフレイ・ハロルド・ハーディ(Godfrey Harold Hardy, 1877 - 1947)は、イギリスの数学者。初期の頃から解析学全般にわたり広い業績があるが、なかでも解析的整数論に与えた影響は大きい。内容はゼータ関数の零点分布や近似関数等式、加法的整数論での円周法、ディオファントス近似などに著しい業績がある(「ハーディ・リトルウッド予想」などほとんどリトルウッドとの共著)。インドの無名の若者だった数学者ラマヌジャンは、ハーディによって初めて天才数学者として開花した。ハーディは、ラマヌジャンをアルキメデス、ニュートン、ガウスらと並ぶ天賦の才と称している。このハーディとラマヌジャンの物語は2015年に『奇蹟がくれた数式』としてイギリスが映画化した。

イギリスにおける純粋数学はニュートン以来大陸側に大きく遅れをとっていたが、ハーディやリトルウッドの出現によって挽回、またある部分においては一流のレベルにまで引き上げられた。実際、英語で近代的な解析学の教科書を初めて書いたのはハーディであった。著書『ある数学者の生涯と弁明』は非常に有名で、その中の数学に対する彼の価値観はよく引用されるところとなっている。冒頭の引用は、その著書からの一節である。

最高の数学の価値は実用的応用にあるのではないとハーディは言う。例えば、橋、蒸気機関、発電機のようなものに数学は応用されている。だから数学は重要である、という論法をハーディは否定する。「真の数学者なら、数学の真の存在価値は、このようなむき出しの成果にあるのではない」。最高の数学は美しいばかりでなく、重い(シリアス)という。数学には実用的な価値はほとんどなく、あっても比較的つまらないものだという。

それでは、この「重い」ということは、どのようなことなのだろうか。それは、数学の定理が相互に結びつける数学的諸概念の意義にあるという。つまり、一つの数学的な概念が「意義ある」とは、それが自然にまた明瞭に、他の多くの概念の総体と結びつけられることにあるという。このように「重い」数学の定理は、重要な諸概念を結びつけるものであり、数学ばかりでなく、他の諸科学における重要な進歩に通ずる可能性が高いとハーディは言う。

「重い」定理は、その中に「意義ある」概念を含んでいる。ここにおいて二つのことが本質的であるという。一つは「一般性」であり、もう一つは「深さ」である。意義ある数学的な概念、重い数学の定理は「一般的」でなければならない。つまり、その概念は多くの数学的構築物の要素であり、多くの異なる種類の定理を証明するのに用いられるということである。ピタゴラスの定理のように「重い」定理は、もともと非常に特別な形で述べられていても、少なからぬ拡張の可能性を持ち、同種の諸定理の全体を代表するものである。

重い定理の二つ目の特徴である「深さ」とは何か。これを定義するのはとても難しいとハーディは述べている。これは困難さと何らかの関係を持つ。「より深い」概念は、通常理解するのが難しい。しかし、両者は決して同じではない。数学の諸概念は、何らかの階層状に構成されており、一つの階層の諸概念はそれら同士の間で、また上下の階層の諸概念と、複雑な関係によって結び付けられている。階層が低ければ低いほど、概念はより深い(また、一般的にはより難しい)ものになる。例えば、「無理数」の概念は、整数の概念よりも深い。ピタゴラスの定理は、ユークリッドの定理よりも深いという。

世界的な数学者は、数学の価値が何にあると考えているのかということにおいて、この1967年の著書はいまだに頻繁に引用されるものであり、半世紀以上を経てもなお、数学を志す人びとに大きな影響を与えつづけている。


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