第二次世界大戦の悲劇は防ぎ得たか——チャーチル『第二次世界大戦』を読む
ウィンストン・L・S・チャーチル(Winston Leonard Spencer Churchill、1874年11月30日 - 1965年1月24日)は、イギリスの政治家、陸軍軍人、作家。第一次世界大戦時には海軍大臣、軍需大臣として戦争を指導した。しかしアントワープ防衛やガリポリ上陸作戦で惨敗を喫し、辞任した。1930年代には、インド自治政策やドイツナチ党のヒトラー独裁政権への宥和政策に反対した。第二次世界大戦を機にチャーチルは海軍大臣として閣僚に復帰。1940年に後任として首相職に就き、1945年の勝利達成まで戦争を主導した。戦後は野党党首に落ちたものの冷戦下で「鉄のカーテン」演説を行うなど独自の反共外交を行った。大戦後に『第二次世界大戦』を全6巻で著し、1948年から1年ごとに1巻ずつ出版されていった。この本はベストセラーとなり、1953年ノーベル文学賞の受賞に至った。
引用したのは『第二次世界大戦』の第1章「勝者の愚行 1919〜1929」より。短い文章で、第二次世界大戦の惨禍が簡潔にまとめられている。連合国側の視点から見たものであるため、ドイツが明瞭な「悪」として描かれている。それに加えて、同盟国であったソ連に対しても「計画的な絶滅政策」が行われた国として批判的な目が向けられている。また、第二次世界大戦は無防備都市爆撃が初めて大規模に行われた戦争でもあった。その契機はドイツによるものだったとしても、戦争末期の米英軍によるドレスデン爆撃や、米軍による日本の大規模空襲によって、無差別に多くの市民の命が失われた。そして、その極地として原子爆弾による惨禍があった。
チャーチルがこの本を書いた目的は「この時期に生き、そして行動した人間の一人として、第二次世界大戦の悲劇はいかに容易に防止できたか」を示すことにあった。その背景には、第一次世界大戦後のドイツに対する国際的政治の失策への反省がある。チャーチルは、本来はドイツに条約を守らせ、あるいは協議と協定によってのみ条約を変更させる能力を備えた、真の国際連盟を強力に築くことができたのではないかと後悔する。その失策が、20年の歳月がまだ終わらないうちに、第二次世界大戦の恐るべき導火線に火が点じられることにつながったのである。
戦勝国としてイギリスはかろうじて勝利をつかんだとはいえ、失ったものも大きかった。国力は大きくそがれ、植民地のほとんどを手放し、チャーチル自身も野党党首へと転落した。しかし、老境に達した身の最後の大仕事として、チャーチルがこの大著を書き上げた意義は大きい。世界大戦の渦中に身をおき、連合国の首相という立場からは、この戦争はどう見えていたのか。それを本人の言葉から知ることができるという意味で、これが第二次大戦の第一級の資料であることには間違いない。
なお本書『第二次世界大戦』の翻訳は、日本では1949年から1955年にかけ毎日新聞社が翻訳・出版を手掛けた(河出文庫のものは縮約版)。2023年より、74年ぶりにみすず書房から全面新訳版の出版が始まった。この新訳版は旧版と比べて翻訳に工夫がなされ、原文の意味をできるだけ保ちつつも読みやすさが改善されているように思う。
例えば、同じ箇所の翻訳を比べてみると以下のようになる。文章全体の構造や、細かい表現で微妙に改善されていることが見てとれる。
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