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そんそんの教養文庫(今日の一冊)

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一日一冊、そんそん文庫から書籍をとりあげ、その中の印象的な言葉を紹介します。哲学、社会学、文学、物理学、美学・詩学、さまざまなジャンルの本をとりあげます。
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#西田幾多郎

東西文化の結合点としての日本——西田幾多郎『日本文化の問題』を読む

西田幾多郎(1870年 - 1945)は、日本の哲学者。京都学派の創始者。学位は、文学博士(京都大学・論文博士・1913年)。京都大学名誉教授。著書に『善の研究』(1911年)、『哲学の根本問題』(1933年)など。東大哲学選科卒。参禅と深い思索の結実である『善の研究』で「西田哲学」を確立。「純粋経験」による「真実在」の探究は、西洋の哲学者にも大きな影響を与え、高く評価される。 本書『日本文化の問題』は1940年に刊行されており、西田晩年の思想を日本文化の問題と関連づけて書

鶴見俊輔がみた哲学言語の未来——『不定形の思想』を読む

鶴見俊輔の『不定形の思想』は文藝春秋社の単行本(1968年)を文庫化したもので、引用したものは「哲学の言語」という論考より。初出は1949年に雑誌「思想」に収録されているものである。 鶴見俊輔(つるみ しゅんすけ, 1922 - 2015)は日本の哲学者。ハーバード大学で哲学を学んだ後、リベラルな立場の批評で論壇を牽引。アメリカのプラグマティズム哲学を日本に紹介した。雑誌「思想の科学」発行の中核を担い、ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)など社会運動にも携わった。評論も多く

西田哲学における「生と実在と論理」の一体性

西田幾多郎が、1932年(昭和7年)1月から2月にかけて京大講堂において行なった講演「生と実在と論理」からの抜粋である。内容は短いものの、密度の濃い文章になっていて、まさに西田哲学の総決算のようなものとなっている。 まず「従来の哲学では論理と実在と生とがはなればなれに考えられて」いたことを批判し、カント批判から始まっている。しかしこれはカント批判というよりも、西洋の近代哲学をすべて根底から覆す試みとも言えるものである。というのは、西田の「純粋経験」や「絶対矛盾的自己同一」の

西田幾多郎の生命の哲学と動的平衡——『福岡伸一、西田哲学を読む』より

本書『福岡伸一、西田哲学を読む:生命をめぐる思索の旅』は、西田哲学の専門家で哲学者の池田善昭氏と「動的平衡」理論の生物学者である福岡伸一氏の対談である。池田氏は、福岡氏の「動的平衡」が生命の本質であるとする理論を、西田哲学の「矛盾的自己同一」を基にした生命論とほぼ同じことを言っていると高く評価する。 そこでは「ピュシス(自然)」がキーワードとなる。ピュシスとは、ギリシャ語で「自然」を意味するが、これはロゴス(論理)と対極の概念であり、分析的な理解では捉えきれない全体としての

西田幾多郎が考える「罪悪の起源」——『西田幾多郎講演集』より

西田幾多郎の講演集である『西田幾多郎講演集』が岩波文庫から2020年に発刊された。これらの講演記録は『西田幾多郎全集』には収められていたが、文庫本での発刊は画期的である。西田は論文執筆の傍らさまざまな機会に講演を行なった。自身が発表した論文の概要を聴衆に向けて説明するというスタンスの講演もあり、西田の思索をさらに読み解く手がかりとなる。 引用したのは「宗教の光における人間」という講演で、1927年(昭和2年)から翌年にかけて行われた京都大学での「宗教学」の講義記録の最終章で

西田幾多郎とオスカー・ワイルド——『善の研究』より

西田幾多郎の主著『善の研究』より、第四編「宗教」:第四章「神と世界」より。本書は「純粋経験」「実在」「善」「宗教」の四編から成るが、その最後の「宗教」のほぼ末尾の部分である。ここでは、西田が「性善説」に立っていたということがはっきりと分かる。ここでは「悪は存在するか」というテーマについて西田が論じ、「本来的な悪はない」と断言している。「宗教」のカテゴリーで論じられているが、「善/悪とは何か」という倫理問題と深く関連する部分である。 西田いわく、「物はすべてその本来においては

西田幾多郎の他者論——論文『私と汝』より

西田幾多郎の他者論である。 西田の思想は近代日本における「個の自覚の思想」と言える。「純粋経験」という鍵概念をもとに、自己と世界の関係性を哲学的に考察したと言える。その意味では、自己意識の「純粋経験」を問う思想であり、自己と世界の関係性は説かれるものの、いわゆる「他者論」について西田が語っているイメージは少ないかもしれない。しかしながら、『善の研究』において「善とは何か」という「倫理」の主題も西田にとって大きな問いだったのであり、そこでは「他者」とどう関わるかという問いも視

西田幾多郎の「純粋経験」とベルクソンの「直観」

前回に続き、西田幾多郎をとりあげる。本書『西田幾多郎『善の研究』を読む』は、西田哲学研究の第一人者である藤田正勝氏(京都大学名誉教授, 哲学博士)が西田幾多郎の思想の解説を、主著『善の研究』にそって著したものである。「実在」「善」「宗教」「純粋経験」という『善の研究』の目次にそって解説されている。 まず、なぜこの本が『善の研究』というタイトルになったかという秘密が明かされている。というのも、本書は倫理(善と悪)に関する哲学書というよりは、西田哲学の根本である「純粋経験」や、

西田幾多郎の「即非の論理」と金剛般若経

本書『西田幾多郎:無私の思想と日本人』は、日本を代表する哲学者・西田幾多郎の解説書である。西田幾多郎(1870 - 1945)は、いわゆる「京都学派」の創始者。学位は、文学博士(京都大学・論文博士・1913年)。京都大学名誉教授。参禅と深い思索の結実である『善の研究』(1911年)で「西田哲学」を確立。「純粋経験」による「真実在」の探究は、西洋の哲学者にも大きな影響を与え、高く評価されている。 しかしながら、西田の哲学は超難解であることでも知られる。「純粋経験」「絶対無」「