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小説「あの時を今」08


県大会準決勝、私たちは負けてしまった。先輩たちの悔しそうな顔を見るのは心が痛い。準決勝の相手は、3回戦の相手と比べても大きな実力差は無かった。しかし、対戦相手との相性というのは確かに存在する。相手の戦法にうまく対応出来ないままに試合が終わってしまったのだ。準決勝に私の出場機会は無く、ベンチからただ試合を見守っていた。相手の戦法に対する策はいくつかあったが、自ら出場を志願してチームを勝たせるほどの自信は無かった。過去の経験を活かしてチームに助言することも出来たが、付け焼刃の策ではチームに悪影響を及ぼす可能性もある。要するに、私は何も出来なかったのだ。3回戦を勝ち抜いた先で待っていたのは、今の私ではどうしようもない未来。ある時点をやり直せたとしても、やり直したことで未来が変わってしまうため、いくら過去をやり直しても後悔の無い選択をし続けるのは実質不可能だ。それならば、せめて経験の積める選択をしていくしかない。



3年生が部活を引退し、新チームの部長にはアキラが選ばれた。チームが新体制になり、2年生は一層気合が入っていた。私も下手な芝居をせずに部活動に励もうと思う。中でも、アキラのハンドボールに対する熱は一段と高かった。準決勝での負け方が、相当悔しかったのだろう。実際もアキラは部長として頑張っていたが、治療中の今の方が熱くなっているように思える。同じ負けでも、負け方次第でその後のモチベーションが変わってくる。そんなことはわかっているつもりだったが、実際にその状況を前にすると、結果に辿り着くまでの過程が如何に重要か、改めてわからされる。



社会人になってからは、過程よりも結果を求められる場面が多くなっていた。会社から与えられるノルマを達成するために、只々仕事をこなす日々。仕事に楽しさを見いだせず、ノルマさえ達成すればいいと思っていた。だが、仕事の進め方や顧客との関係性など、長期的に見ればノルマよりも重要視しなければいけないことはたくさんある。ノルマ達成を言い訳に見てこなかった部分にこそ、仕事の楽しさが眠っていたのかもしれない。それを、2度目の高校生活で気付かされるとは何とも不思議な感覚だ。治療が終わっても、今回の教訓は忘れない様にしておこう。



治療が始まり約5ヶ月、苦労していた学業面でも、ようやく努力の成果が表れてきた。授業の内容を理解出来る様になってきたのだ。家での予習復習が報われたことが素直に嬉しい。成績優秀というわけではないが、当時の学力程度は取り戻したと思う。今後は、授業をしっかり聞いておけば何とかなるだろう。家での勉強時間を他のことに当てられる。当面は、現状の整理と今後の課題の洗い出し、そして、友人とのコミュニケーションに時間を当てよう。学力を取り戻すために、友人からの遊びの誘いを何度か断ってしまっている。当時は家での勉強などほとんどせず、部活が終われば遊び歩いていたので、これ以上友人との付き合い方に変化があっては今後の関係に影響してしまう。今日の放課後は、さっそくトモノリの家に行く予定だ。



部活を終え正門に行くと、そこにトモノリの姿はなかった。部活がまだ終わっていないのだろうか。サッカー部が練習しているグラウンドに向かう。グラウンドの方から、サッカー部の掛け声が聞こえてきた。グラウンド近くの階段に座り、サッカー部の練習が終わるのを待つ。
「しっかりやれ!」
サッカーコートでトモノリの檄が飛んでいる。トモノリはわかりやすく熱い男だ。アキラも熱い男だが、どちらかと言えば静かに燃えるタイプで例えるならば暖炉、トモノリは周りを巻き込むように燃えるタイプでキャンプファイヤーといったところだろうか。かくいう私は、つまみをひねって火力を調節するガスコンロの様なタイプ、便利だが、わかりやすい魅力のない男だ。



学生時代、トモノリの家に行ってはダラダラ喋ったり、ゲームをしたり、これといった目的の無い楽しい時間を過ごしていた。今日もトモノリとそんな時間を過ごしている。高校3年の夏から約10年、喧嘩別れをして以来トモノリとの思い出は無い。それでも、10年間の空白を感じることはあまりなかった。故に、仲直りをしなかったことへの後悔が大きくなる。私は今、トモノリと仲直りしていた場合の世界のことを考えてしまっている。トモノリとの仲直りは治療が終わった後だと自分に言い聞かせ、格闘ゲームでトモノリにハイキックを決めた。

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