【“脱”真面目な人]マニュアル

“真面目な人ほど損をする”とよく言われるが、これは特定のシチュエーションに限った場合であって、真面目と損は必ずしも結び付くわけではない。では、真面目な人が損をするシチュエーションとは何か。それは、真面目な人が努力した結果、特定可能な範囲の人間が行動を起こさずとも利益を享受することが出来る状態である。

例えば、職場内の共有スペースの掃除を真面目な人が率先して行うと、以降職場内では共有スペースの掃除は真面目な人の仕事という認識になる。この場合、真面目な人は仕事が増えて損だが、職場内の同僚は綺麗な共有スペースを獲得する。職場内での評価は一時的に上昇するが、真面目な人の行動が当たり前という認識に変わってからは損のみが残る。損という状態は他者との比較の結果生まれるため、利益を享受する人間が特定されている場合の方が損を感じやすい。

反対に、ショッピングモールのトイレの洗面台を綺麗に拭いた場合、不特定多数が利益を享受すると同時に、以降その人の仕事が増えるわけではないので、その人は良いことをしたという事実と徳を積んだという認識を獲得する。この状況は得をしていると言っても過言ではないだろう。この場合は真面目な人というよりも、良いことをした人である。

そもそも、真面目とは何か。辞書には、[1 嘘やいい加減なところがなく、真剣であること。本気であること。また、そのさま。2 真心のあること。誠実であること。また、そのさま。]と書かれている。昨今、真面目という言葉は、完璧主義や自己犠牲といった言葉と混同されて考えられているが、それらとは性質が異なる。本来、単純に本気であるだけでも真面目なのだ。要は、真面目というのは性格ではなく、物事に対する本気度や誠実さを表すための表現であり、頑張りみたいなものである。

例えば、仕事で何時間も残業して私生活がおろそかな人は、仕事に対して真面目だが、生活に対しては不真面目と言える。このことから、真面目というのは頑張りの言い換えであり、性格ではないことが理解できると思う。先に例として挙げた、職場内の共有スペースを掃除する人は真面目な性格というわけではなく、職場内において真面目な人という、特定の条件下における真面目を体現している人なのだ。

真面目が性格ではないとすると、世間一般で言われている真面目な人とは何なのか。それは、頑張りの配分が苦手な人である。他者Aに目標を与えられると、人生の中で限られている時間や精神の大半をその目標に費やしてしまうため、他者Aから見れば真面目な人だが、他者Bから見たときには妄信的な人、視野が狭まっている人、依存的な人という印象である。ブラック企業や、パワハラ上司の被害に遭いやすい人に多い傾向だ。これは生まれ持った性格とかではなく、得意・不得意の問題なので対策することは可能だ。また、ここまで読んでくれた方の中には、“頑張りの配分が得意な真面目な人もいるのではないか?”という疑問を持たれた方もいると思うが、その様な方への回答もしておこう。“頑張りの配分が得意な真面目な人”だと思い込んでいる人の正体は、“生きるのが得意な根っからの良い人”である。根っからの良い人は、頑張りで動いているのではなく善意で動いているので、行動に対して頑張っているという認識や徳を積んだという認識は無く、「やってあげとこう」という雑念の無い善意のみが存在している。真面目な人と根っからの良い人を比べてみると、その性質が根本的に異なっていることが理解できると思う。真面目が後天的な特徴だとすれば、根っからの良い人は先天的な特徴なので、性格の一部とも言える。

ここからは、損な真面目をやらない又は感じないための対策について考えていこう。まずは、損という状態を感じないために他者との比較を行わないのが根本的な解決に必要になる。しかし、現代社会で生きていく中で他者との比較から逃れることは難しい。SNSの発展により、羨望の対象は増え続けている一方、生活様式が大きく変わったわけではなく、個人の満足度に変化はない。SNSは個人の満足発表会の場であり、今まで見えていなかった満足が可視化されただけで、人類の相対的な満足の量が増えているわけではないのだ。

では、他者との比較を避けるにはどうすればいいのか。その答えは、“他者との比較が難しい自分だけの満足をやりにいく”これだ。これは何も難しいことではない。例えば、“うまい棒2本同時食い”や、“散歩中に野良猫見れたらラッキー”といった世間で数値化されていない心の満足をやりにいくだけでいい。自分だけの満足をやりにいくことで、特定可能な範囲の人間が集まる場での真面目な行動に感じる損を緩和できる。

また、他者に目標を与えられた際、同時に自分の中での目標を作ることも有効だ。これも難しいことではない。“10月31日までに資料を作る”という目標を与えられた場合、“10月25日までに資料を作る”や、“資料を簡略化する”といった与えられた目標に関する自分の目標を作っても良いし、“資料が完成するまでに漫画を全巻読み切る”といった、同時進行できる目標を立てても良い。ここで重要なのは頑張りの配分を半強制的に分散させることであって、目標自体は何でも良いのだ。

損な真面目をやらない為の対策をシステマチックに行いたいという人には、頑張りの配分を表やグラフにして可視化するという手もある。自分の現在の頑張りの配分を、“生活30%”、“仕事50%”、“遊び20%”の様に百分率で可視化し、頑張りの偏りが起きていないかを把握する為の表を作っておくことで、頑張りの配分を自分の脳外で管理することが出来る。そうすることで、自分が誰かにとっての真面目な人になっていないかを視覚的に判断することが出来るのでおすすめだ。グラフの内訳として、自分のための頑張りなのか、他者に対する頑張りなのかも明確にしておくと、より頑張りの配分を管理しやすくなるだろう。

真面目という言葉は自分を表現するための言葉であって、他者を評価する際に使う言葉には適していない。自分が目標に対して真面目に取り組んだという自己評価に価値はあるが、他者からの真面目な姿勢に関する評価に価値はない。社会生活においては、良くも悪くも結果が全てであり、過程や姿勢に関する評価は自分に対してだけ行えば問題無い。ただ、結果に影響が出ない程度には真面目でいなければならない。それが社会とうまくやっていくコツなのだ。

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