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小説「あの時を今」11


高校最後のハンドボールの大会は、県大会準優勝に終わった。当時と同じ結果だ。この結果に辿りつくまで、対戦相手や試合展開に異なる部分は多くあったが、結果は変わらなかった。正直、悔しい。当時よりも、試合に出る回数は多かったし、ハンドボールに対する思いも強かったと思う。それでも、負けてしまった。ハンドボールはチームスポーツ、私一人が変わったところで結果が変わるほど甘くは無かったのだ。



部活動が終わり、これからは就職に向けて本格的に動き出す時期だ。私の就職する会社は、そこまで求人倍率が高いわけでもないが油断はできない。ここで就職活動に失敗すれば、今後の人生が大きく変わってくる。いや、本当にそうなのだろうか。実際は、どこに就職してもそこまで人生に影響は無いのかもしれない。余程、職場環境の悪い会社に就職しない限りは、どこで働こうが幸福度にさほど変化は無いだろう。しかし、この治療中においては、就職先が変わることは避けなければいけない。出会うはずの無い人間との接触は危険だ。



高校3年の夏、トモノリと疎遠になるきっかけの喧嘩は、まだ起きていない。いつ喧嘩をしたのか、なぜ喧嘩をしたのか、あまり憶えていないが、夏休みに入る前に喧嘩をしたのは憶えている。夏休みに入るまで、あと2週間。喧嘩になりそうな予感はない。もしかすると、治療中の小さな変化の積み重ねが、あるはずの喧嘩を未然に防いでしまっている可能性がある。そうすれば、今後もトモノリとは良い友人関係を続けていくことになるだろう。トモノリとの関係の変化が、今後にどの様な影響を及ぼすのか予想はつかないが、悪い方向に行くことは無いだろう。



同級生たちも、進学や就職に向けて本格的に動き始めている。カオリや友人とも遊ぶ時間は減り、私も放課後は就職試験の対策に時間を当てている。この治療が始まる前、高校時代の思い出は輝いて見えたが、その輝きに近づいてみてわかったことがある。高校時代の思い出はミラーボールの様な物で、その物自体が輝いているわけではないということだ。思い出は、様々な角度から光が当てられることで、その光を反射し、輝いている。光源はいつだって今にしかないのだ。



高校最後の夏休みを前に、同級生たちは浮かれたくても浮かれられない独特な雰囲気を纏っている。いつ何時も浮かれられない状況の私には、夏休み前だろうと就職試験前だろうと、気持ちの変化はあまりなかった。植物状態の治療で過去を追体験しているという特異な状況において、その中での変化は些細なことだった。そんな状況でも、妻の言動は私の気持ちを動かした。当時は妻の表情や仕草を気にして見ることもなかったが、好きになってから見る高校生の妻はあの時よりも愛おしく感じられる。



授業中、皆はいつにも増して真剣だ。進学組はもちろん、就職組も少しでも成績を上げるために授業を真面目に受けている。当時の私は、同級生たちの様に頑張ろうとしていただろうか。正直、倍率が高くないからと、そこまで努力せずに就職できると思っていた。実際、そうだったのだが。今日の授業では、小テストが行われる。成績を大きく左右する物ではないが、テストというのはどんなものでも一定の緊張感がある。目の前の妻の背中を眺めていると、テスト用紙を渡すために妻が振り向いた。こちらを見る妻と目が合ったその瞬間、まばゆい光と甲高い音にさらされ、意識が遠のいていく。唐突に訪れたそれを理解出来ぬまま、目の前が暗くなっていった。



暗闇と静寂の中、意識が徐々に戻ってくる。治療に失敗したのか、成功したのか、まだ治療中なのか、私にはわからないが、自分の体が何かに触れている感覚がある。恐らく、触覚が戻っているのだろう。感覚が戻っているということは、治療が失敗したわけでは無さそうだ。しばらくすると、暗闇の中に淡い光が見えてきた。そこでようやく、目を閉じているということを自覚する。うっすらと目を開けてみると、白い天井が見える。首を動かし周りの状況を確認してみると、ベッドであおむけになっていることと、頭や腕から複数の管が伸びて、機械と繋がっていることがわかる。ここは病院なのだろう。病室の窓に映る、自分の老けた顔を見て治療が終わったのだと悟った。

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