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「ミッドサマー」雑感

※以下、ネタバレを含みます。


ようやく「ミッドサマー」を見たので、感じたことを残しておく。

ちなみに見たのは通常版。


映画の序盤では、ダニーが周囲の人間との間に隔たりを感じている様子が描かれる。

双極性障害の妹は、一方的に極端な言葉を送りつけてくる。それに対する返信も、両親を心配して掛けた留守電も、受け取られることのないままダニーは家族を失う。

恋人のクリスチャンは不安定な彼女を持て余していて、それは彼女にも伝わっている。彼女を置いて友人たちとのパーティに行こうとしたり、旅行の話を曖昧にしか伝えなかったり、アンタがそういうことするから余計に不安定になるんでしょうよ!という振る舞いが多い。

「話してほしい」というダニーに対して、「謝っただろ」「帰る」なんて、コミュニケーションを拒否する態度をとったりもする。

電話相手のカウンセラーもいまいち頼りないよねえ(ふにゃふにゃ言ってるだけだからてっきり女友達かと思ってた)。

そんな中で、クリスチャンの友人ペレの導きでたどり着いたのが、スウェーデンのヘルシングランドにある集落。

美しい自然のなかで独自すぎる慣習を守りながら暮らす人々。ダニーは最初こそ怯えて帰りたがるものの、徐々に彼らを受け入れ、彼らに受け入れられていく。そこで彼女が得たのは、分かり合う喜び、のようなものだった。

ダンスとドラッグによってハイになり、スウェーデン語が話せるようになるシーンや、パニックになって泣き叫ぶダニーに集落の女性たちが共鳴し泣き出すシーン。誰もわかってくれない、と感じていただろうダニーにとって、それらはとても喜ばしいことだっただろう。

一方でクリスチャンは恐怖を感じており、「心を開くためのもの」と言われ手渡された飲み物も一度は拒否する。それが合わなかったのか、それともわざとそういうものを盛られたのかはわからないが、メイクイーンとなったダニーの目には、もはやクリスチャンのほうが異物と見えているような表現がされていた。彼は更に薬を摂取させられ、集落の少女との儀式に臨んだあげく、生きたまま炎に焼かれることになった。

自分のことをわかろうとしてくれず、更には自分を裏切った男。ダニーは彼を生贄として選択する。最後に見せた無邪気な笑顔は、憑き物が落ちたようだった。

彼氏が他の女とヤッてるとこ見ちゃった人の辛さも、飛び降り自殺に失敗した人の苦痛も、生きながら身を焼かれる人の恐怖も、他人が理解することなんてできるはずがない。想像はあくまでも想像だし、同じような経験があるとしたって、まったく同じことを感じるなんてありえないことだ。まして、この集落の人々は、集団の習慣としてそう振る舞っているにすぎないのだから。

すごく気持ちが悪い。

しかし、それでも、ダニーは救われたし、私はカタルシスを得たんだよなあ。

共感を得たいって感情は、「私のことを理解して」「私を認めて」っていう願望が根本にあるんだろう。

集落の人々が、「共同体」という一個の生物みたいに暮らしてるのが一番のホラー要素かもしれない。

72歳になると自ら死を選び、次の赤ん坊に名前を託す習慣。感情共鳴。儀式のためにすすんで皮を剥がれたり、身体を焼かれる人々。

もしこの場所で、それらに違和感を持つ人間が育ってしまったら、どうなるんだろう…それとも、最後の儀式で「すでに準備済み」の状態だった人と、イングマールのように「生きた状態」で儀式に臨む人との差はそこにあったりするんだろうか。

もちろん、周囲と助け合って暮らすこと自体は悪いことじゃないけれど。所属意識と排他性って大きな関わりがあるよなあ、と思う。

音楽がすごい。基本的には素朴な感じのする歌と楽器の演奏だけど、シンプルなフレーズが繰り返すたびに揺らいで、絶妙に不安を掻き立てる。とともに、そのリフレインが高揚させトリップ気分を増す要因にも。

家族を失ってダニーが泣いているシーン、泣き声と音楽が共鳴しててすごく印象に残ってる。

ダニーの部屋、ペレの車、集落でみんなが寝泊まりする家の内装、が水色。

最後の儀式を行う建屋はパキッとした黄色(三角形も相まって、自然の中に物凄い不自然)。

これはなんか意味があるのかしら。

いわゆる土着信仰的なものが定着しているところに「クリスチャン」が来て殺される、ってすごい構図だな。

歴史的にはキリスト教が広がる過程で土地土地の信仰や習慣を駆逐していった、だと思うけど、逆転してる。そして、クリスチャンはその名前にしてはそういう振る舞いはしてない(彼らの文化なんだから仕方ない、僕らが受け入れるべきだ、みたいなこと言ってたし)、その代わり、信仰心を持つ人の良き振る舞いや心持ち、とかもないけど。

ダニーが部屋で泣いてるシーン、スウェーデン行きの飛行機のシーン、両方とも結構な秒数かけて窓の向こうにカメラがズームしてた(出ていく?)けども、あれは何を示唆してるんだろう?

ダニーがメイクイーンに決まって集落のみんなに讃えられるシーンで突然現れるママ。一体どういうこと?

幻覚とか幻想だとは思うけど…ダニーの願望が現れてるのか?

両親との関係性は深く描かれてないけど、もしかしたら妹は昔から精神的にもろくて、両親は妹にかかりきりで、ダニーはあんまり甘えられず育ったんだろうか。だから心のなかにあった「ママに褒められたい」気持ちがあそこで幻想を見せたのかな。…という妄想。

別に見たいもんではないけど、クリスチャンの儀式のシーンでモザイクがかかると急におマヌケに見えて笑けてしまったので、作品的には残念ポイントかなと。

ゴアいシーンもあるけれど、全体的に明るくキレイな映像と、突然ヤバいシーンが出てくることがない(いやもうこのあと絶対なんかある!って予想がつく)ので、思っていたより不快度は低い。

トリップする気持ちよさすら感じる不思議な映画。

こうなると、ディレクターズカット版でどう見方が変わるのか…見てみたい気もするな。




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