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世界SF大会「NIPPON 2007」報告(2007)

*以下の文章は、時事通信社の求めに応じて、2007年に横浜で行われた世界SF大会「NIPPON 2007」について寄稿したものだ。地方紙に配信され、私の知る限りでは、「アニメ文化は日本研究導入部ー「世界SF大会」横浜で論議」と題して、静岡新聞などに掲載された。もう十数年前の記事なので、内容的にはいささか古めかしくはあるが、私のSF研究の基本的なスタンスと認識がここにあるので、あえて再掲させていただく。

第六十五回世界SF大会が八月三十日から九月三日にかけて、横浜市で開催された。アジアでは初めてとなるこの大会に、日米欧などからのべ数千名の参加者が集まり、小松左京デヴィッド・ブリンなどの著名作家が招かれて、内外のSF関係者やファンが交流を深める場となった。
さらにわたしのような研究者も交え、ジャンルをめぐる議論も活発に行われた。わたしが参加したのは「アヴァン・ポップ」(規制の分類にとらわれない作品群)と「SF研究/SF教育」という二つのパネル。ここに欧米の日本文学研究者も何人か加わってもらったが、事前に彼らと情報交換を行っていて驚いた。


日本語に堪能なことはもちろん、皆、日本についての広範な知識や関心を備えているのだ。小松安部公房筒井康隆などの古典的作品のみならず、笙野頼子などの現代文学にも目配りが利いている。と同時に、日本のSF/アニメ研究誌の編集に携わり、『機動警察パトレイバー』『3×3EYES』などについての論考も発表している。新しい世代のジャパノロジストたちである。
海外での日本文化の受容といえば、もちろん今さら「フジヤマ、ゲイシャ」でもないだろうが、日本文学といえばせいぜい三島由紀夫川端康成大江健三郎村上春樹まで。後はアニメの『ドラゴンボール』押井守宮崎駿。映画だったら黒澤明北野武。あるいは京都や奈良への憧れにオリエンタリズムを見る。海外での日本文化の受容といえば、以前はその程度しか想像できなかった。だが新たな世代のジャパノロジストが発信する日本の姿は全く違う。


「日本」とは過去と未来、神社仏閣とハイテク、伝統文化とポップカルチャーが混交するハイブリッドな空間である。またそうした日本のイメージが、SF小説やアニメやマンガに集約されている、と言う。


なんだオタク文化かの話か、と侮るなかれ。今や多くの海外の若者は、まずアニメやマンガ、TVや音楽を通じて日本や日本語に触れる。そこからさらに日本を深く知りたいと思う学生が、着実に増えているのだ。また欧米では日本研究は一つの学部学科として独立している。文学・文化研究はその一分野という位置づけである。その中でSFやアニメは、領域横断的な日本研究への導入としても重要な役割を果たしつつある。


「アヴァン・ポップ」のパネルには、作家の笙野頼子氏と佐藤哲也氏も加わっていた。ラリイ・マキャフリイ米サンディエゴ州立大名誉教授の提唱するアヴァン・ポップが、日本のSFや現代文学とどう交差するのか。それを改めて検証する趣旨であった。


だがこのパネルで図らずも、佐藤の不条理な政治小説『妻の帝国』や笙野のネオリベラリズム批判が、アヴァン・ポップのラディカルな政治性とみごとに共振するさまが浮かび上がってきた。抵抗文化はつねにポップな装いをまとうものなのである。これから一元的なグローバリズムとその専横への批判が、日本から世界へ発信される時代となるかもしれない。

*繰り返しになるが、2007年に書かれた内容なので、その点は割り引いてお読みいただきたい。ただこの時点では、アニメが日本研究の入り口になるという認識は、少なくとも私の周囲のアカデミシャンには広く共有されているとはいいがたかった、ということは付言しておきたい。

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