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部屋と男。完全には程遠い私たち

部屋というのは特別な領域。基本的には招く人を選ぶ。だからこそ、暮らした部屋と、そこを出入りした男は「セット」で記憶するクセがある。

私が選んだ男であり、私に入室を許可された男、と表現すると仰々しく、偉そうなニュアンスが出るけれど、自分がこの男を部屋に入れたいから入れる。そうして自分の意思で決めてきた。

初めて自分で貯めたお金で引っ越したのは22歳の冬。寒い1月のある日、東京の果てにある西多摩郡瑞穂町から、川崎大師からほど近い場所へと居を移した。4月から新社会人として勤める会社に近いところを選んだ。

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段取りが悪かったせいで、引っ越し当日は電気が通っていなくて、暖かい布団すらなかった。ぶくぶくに着込み、薄いタオルケットにくるまり、震えながら寝ようと試みた。暗く冷たい部屋で。すぐ目の前の国道409号は車の往来が激しく、昨日まで住んでいた静かな場所とは別世界だったから、いつまでも目が冴えて眠れなかった。

この部屋へ入った1人目の男は36歳(当時)。33歳の私とほとんど同世代であり、今となっては特に「大人だな」とは感じない。でも、大学4年の若者にとっては、随分と刺激の強い相手だった。

何しろ、恋愛経験も大してなければ、結婚なんて頭の片隅にもない小娘にとって、離婚経験という「酸いも甘いも噛み分けた感(当時)」や小金を持っていて、高級外車を乗りこなす36歳は、周囲の同世代とは比べ物にならないくらい大人であり、「イケてる」存在でしかなかったから。

3月、彼と韓国を旅した。アパート前の大師道へ乗り付けて、私を迎えに来た彼の車へスーツケースを入れると、羽田空港へはあっという間に到着する。帰国時も同様に送ってくれたけれど、旅先で不仲になるという「あるある」をきっかけに、彼が部屋を訪れることはなくなった。社会人になる直前で男との縁は切れた。

2人目の男も同じくらいの年だった。既婚・子持ちの男は周囲には「良き父、良き夫」の印象を与えていたと思う。

全方位から見て「良き夫」「良き妻」「良き彼氏」「良き彼女」とか、そんな完璧な「良き〜」なんて人間はいない。利害関係者と1on1で向き合ったときに「良き夫」「良き妻」「良き彼氏」「良き彼女」であればそれで良い。多面的な生き物である人には、各面に表・裏の2面があるわけで、すべてがクリーンな聖人君子なんて存在しない。

23歳になっていた私は、その男との関わりを通じて、人間の不完全さやだらしなさに触れて、それを愛おしく感じたり、ときに軽蔑したり、失望したりしていた。

どれだけやりとりを交わそうと、男は原則丁寧語を使い、気持ちよく酔ったときは言葉を崩した。初めて部屋に案内したとき、男は「ちょっとコンビニ行くから、先に(部屋)帰ってて」と言い、コンビニ袋の中には、ビール缶とコンドームの箱が入っていた。オカモト×ベネトンのビビッドな箱は、ほとんどモノのない簡素な部屋で浮いていた。

1年半も経たないうちに、品川区へと転居した。大学進学で上京した妹とふたり暮らしを始めるために、である。

結局1年半の間、川崎大師の部屋に入室した男は2人だけだった。引っ越してしばらくしてから2人目の男とは疎遠になったが、数年後に再び会うようになった。

「人の根底は変わらないし、私たちは人間くさくて、だらしなくて、本能と理性のバランスを上手く取りながら、器用に生きているよね。あのときも今も」

はじめて借りたあの部屋よりもだいぶ広くなった部屋で、あの頃とまったく変わらない男のつるりとした黒い肌を撫でながら目を閉じた。

#はじめて借りたあの部屋

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