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大学時代の恋人・豪の証言 【小説】どの顔もあの女#6

 もちろん覚えていますよ、真矢のことは。大学1年のときに出会って、付き合ってたんです。といっても、プラトニックな関係でした。
 出会いはサークルで合同稽古をしたときです。僕と真矢は違う大学でしたが、お互い空手サークルに入っていました。同じ学年ですし、自然と話をするようになりますよね。連絡先を交換し、ときどき向こうからごはんや映画の誘いが来るようになりました。
 ただ、僕は当時、恋愛とか女性にあまり興味がなかったんです。大学生活に夢中でした。だから、真矢から遊びに誘われても、あまり気が乗らなかったというのが正直な気持ちで。断るのもあれなので、だいたい付き合ってましたけど。

 真矢から「私と付き合ってほしい。1カ月、お試しでもいいので」と言われたのは、水道橋にある遊園地で観覧車に乗っているときでした。そんな状況で言われると、逃げ場がないですよね。すごい瞬間に言うな、と感じました。お試しならいいか、と思い、そのときは「わかった」と返事をしたんです。
 でも、僕も授業やバイト、サークル、習い事でけっこう忙しくて、結局ほとんど会わずに時間が過ぎていきました。付き合う契約を口頭でしてから3週間くらい会えなくて。でも結局、3カ月くらいは付き合ってたことになるんですかね。
 ただ、体の関係はなかったです。僕、中高一貫の男子校に通っていて、恋愛をしたこともなかったので、そういう経験もなかったんですよね。それもあって、次のステップに踏み出す気持ちにはなりませんでした。いや、真矢じゃない別の女性だったら、そうなっていたのかもしれません。わからないです。
 なんというか、真矢ってよくわからない人だな、という印象もありました。そこまで深い関係になっていないはずだし、僕がものすごい好意を彼女に対して示したわけでもないのに、なんで僕を指名するの? みたいな。「これ!」と思うとのめり込みやすいタイプだったのかもしれません。だから、僕を「違う大学のサークルで一番仲良くなった人」と認識して、僕にこだわったんじゃないかな、って。
 
 3カ月で終了した理由ですか? 真矢から切り出されました。「3カ月付き合ってる体だったけど、豪は最後の最後まで、私のこと好きになってくれなかったね。もう終わろう」って。反対する理由もなかったので、それに従ったまでです。
 一方で、申し訳なさも感じていました。軽い気持ちでイエスを出した責任は僕にあること、真矢に魅力がなかったわけじゃないんですけど、僕のほうに恋愛する態勢が整っていなかったこと、真矢の気持ちに応じられなかったこと……いろいろ後悔はありました。
 結局どこまでしたか? 手をつなぐとか、キスまで、です。中学生みたいな恋愛ですね、今思うと。
 それから関係が険悪になったわけではないですが、とくに連絡を取り合うこともなく、それぞれ社会人になって、真矢のことはいつの間にか忘れてて、日々慌ただしく過ごしていました。新卒で投資銀行に就職したので、めちゃくちゃ忙しくて。
 約10年ぶりに再会したのは、僕が政治家秘書に転職したタイミングでした。真矢が事務所に来て、うちの先生に取材をしていたんです。編集者と一緒でした。ライターとして書く仕事をスタートしたけど、今は小説を書き始めていて、そこに政治家を登場させる予定なので、政治家の先生に話を聞きたいんだ、と言っていました。
 びっくりしましたよ。まさか、こんなところで再会するとは、って。想像もしてないですからね。自分の人生でもう交わることはない人だと思っていましたし。
 真矢はだいぶ変わっていました。すごく綺麗になってましたよ。その日は社交辞令的に、「またご飯でも行こうよ」という感じでLINEを交換して、後日飲みに行きました。

 ワインをガンガン飲みながら、夫との関係がうまくいっていない、セックスレスでつらい、女として見られないのは悲しい、みたいなことを話す真矢に、僕は「誘われている」と感じていました。真矢と別れてから付き合った人も何人かいましたし、人並みに恋愛をしてきたので、女性のことはちょっとはわかっています。
 1軒目を出てから真矢が僕の腕を取ってきたので、そのままホテル街へ向かって……。正直、燃えました。
 10年前に付き合ったのに、一度もセックスしなかった女性と再会して、その人が綺麗になっているんです。しかも人妻。滾ったのを覚えています。一晩で4〜5回はしたんじゃないですかね。真矢の夫に悪いと思う感情はなかったです。真矢のことしか見えていなかったので。
 真矢は「私たち、相性がいいと思う。10年前にしなかったのが悔やまれる」とつぶやいていましたが、僕はむしろ今初めてするからいいんだと思っていました。相性は悪くなかったと思います。結局、ときどき会って食事をして、セックスしたのは6〜7回くらいですね。1カ月に2回会うこともあれば、2カ月、3カ月空くこともありました。

 最後に恵比寿で会ったときは、食事中あまり話すことがなくて、気詰まりな感じでした。さっと食べ終わって、すぐにホテルへ行って、終電までずっとしてました。真矢もこれでおしまい、という空気を出していましたね。なんとなくですけど。
 恵比寿駅の山手線ホームで別れるとき、真矢は「いろいろありがとう。元気でね」と言ってました。いつもなら「またね」で別れるんですけど。それが真矢の顔を見た最後の日です。
 あれから4年くらい経ってるんですね。早いな……。仮にもお付き合いした女性が亡くなるなんて、いい気持ちはしないです。もう今度こそ二度と会うことはなかったはずですけど、せめてどこかで生きていてほしかった。


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