見出し画像

「できない」は認められ、「しない」は許されない社会。

「できない」んじゃなくて、「しない」。私は自分自身について正確に伝えたい。けれど、それだと権利を勝ち取れないから、いやな気持ちになりながらも、不正確に伝えています。「しない」を「できない」と言うときは、屈辱を覚えます。

「そんな大袈裟な」と呆れる見方をする方もいるかもしれませんが、長引くコロナ騒動下でこういう「自分に嘘を吐かないといけない対応」を重ねていれば、病む瞬間もありますよ。正直に生きたいのに、それが叶わないシーンがあるのだから。

noteやTwitterにもたびたび書いていますが、現時点において、マスクを着用しない限り事実上乗れない飛行機搭乗時は電話をします。その際、正直に言うなら「健康なのでマスクしません」なのだけど、そう言っても話が通じない(何が何でも「健康上の理由」を求めてくる)ので、「つけられません」と伝え、理由を聞かれたら「顔が火照る、息苦しい、耳元が痛い」などの、つけることによって心身に現れる事柄をいくつか挙げていきます。

健康上の理由:
1.呼吸困難や呼吸による胸や背中の痛みを伴う場合
2.かぶれ、腫れ、痛みなど、外的な刺激を伴う場合
3.圧迫感、不安感、パニックに陥るなど、精神的な苦痛、感覚異常や神経過敏を伴う場合

ANA「マスク等のご着用と手荷物のお預けについてのお願い」より引用

以前、「息苦しい」と伝えたら「呼吸困難ということでよろしいでしょうか」と誇張表現かつ、病気的な言い回しに変換されたことも。健康だからという理由でマスクをつけない、現状は少数派の異分子の人間をどうしても病人として扱おうとする強い意思を感じます。

だから「アホらしいな」と引きながらも、「呼吸困難……。まあ、広義では呼吸困難になりますかね」と、自分でもアホっぽいなと思える返しをするので、先方の管理画面か何かでは「池田園子=呼吸困難」とか記録されているのでしょう。飛行機以外でも同じようなことはときどきあります。

自由、そして差別のない社会

某世界的サッカー大会の報道で、不特定多数の日本人の素顔を久々に見て、何かを感じた人は多いと思います。この流れで「なんで健康なのにマスクしてるんだろう?」と思考する人が増えたらいいのになと願いますが、どうでしょうか。

結局のところ、「国内外どこにいようと人の目が気になる勢」が大半だと、海外では素顔になれても日本に戻ってきたら圧倒的大多数=マスク着用勢だからという理由で、変わらずマスクをつけるんだろうなと想像しています。

そして、もはや「ファッション」になってしまいましたよね、マスク。土台と紐の色が違うものとか、素顔に見間違えるヌーディカラーのもの(近づくと「マスクしてたんだ……」となる)とか、少し前に流行ったっぽい(?)くちばし的な形状のものとか。マスク界で何が最旬なのかは分かりませんが、街中でどうしても目に入るので、なんとなくは知っています。

「そっち側」にいたら、匿名Twitterアカウントから「池田園子さんって反マスク(池田注:この言い方は「正」ではない。マスク反対とか言ってるわけではなく、健康な人はしなくていいアイテムですよと、2019年以前の当たり前のことを言っているだけだから)になってから性格キツめなツイート増えたよね」とかも書かれないだろうし、生きてて楽だったのかもしれません。

でも、「こっち側」でいいというか、私は違和感を覚える側だったから、必然的に「こっち側」にいます。前出の「人の目が気になる勢」でもないし、そもそも他者は私を見ていないです。これからも「こっち側」の人間でしょう。

コロナ騒動下が続く今、願うことは「一人ひとりの心身における自由」「差別のない社会」です(どちらも本来当たり前)。マスクについていえば、つけたい人はつける。つけたくないならつけない。それ以外も(関連して何を指しているかはご想像ください)、したい人がする。したくないならしない。

これだけいろいろなことが明らかになってきたのに、未だにする人・しない人によって“取り扱い”が変わる社会の異様さには、もう飽き飽きしています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?