損したくないから、疑う—35過ぎて私の思うこと。
何かの本で「疑うことは知性である」といった文章を読んだことがある。私の疑う姿勢も知性と言っていいのかはわからないけれど、目の前の物事を疑う習慣は、年齢を重ねるにつれて身についていったものだと思う。
ここでいう「疑う」は「なぜ?」と考え、問いを繰り返すことを指す。わかりやすい例を挙げてみたい。
なぜ、この政治家は質問に答えないのか。なぜ、どこもかしこも“この情報ばかり”報道するのか。なぜ、どこもかしこも“この手の主張をする人たちばかり”有識者として起用するのか。なぜ、