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35過ぎて私の思うこと。

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2021年12月に読んで感銘を受けた『40過ぎてパリジェンヌの思うこと』の日本版を作りたいと思い立って書き始めたシリーズものです。いずれはKindle ダイレクト・パブリッシング…
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人は他人に興味がない—35過ぎて私の思うこと。

 「人の目が気になる」という言葉がある。他人からの視線が気になる、どう見られているか気になるということ。20代後半くらいまでは、自分も「私のこの言動、格好は他人からどう見られるか、どう思われるか」という視点で考えることが多かった。  例えば、会社員だった頃「今日の仕事は終わっていて、このあと用事がある。でも、先輩より先に帰るとどう思われるか。あまり良く思われないのではないか。帰りにくい……」。もっとどうでもいいものだと「今日、上まぶたが荒れているからアイメイクはやめておこう

損したくないから、疑う—35過ぎて私の思うこと。

 何かの本で「疑うことは知性である」といった文章を読んだことがある。私の疑う姿勢も知性と言っていいのかはわからないけれど、目の前の物事を疑う習慣は、年齢を重ねるにつれて身についていったものだと思う。  ここでいう「疑う」は「なぜ?」と考え、問いを繰り返すことを指す。わかりやすい例を挙げてみたい。  なぜ、この政治家は質問に答えないのか。なぜ、どこもかしこも“この情報ばかり”報道するのか。なぜ、どこもかしこも“この手の主張をする人たちばかり”有識者として起用するのか。なぜ、

愛する人からの言葉は魔法—35過ぎて私の思うこと。

 「その子さん、今日もかわいい」「その子さん、きれいだよ」。そう言うのは私のパートナーである。私の顔を見ては毎日「あ〜かわいい」「今日が一番美人」「どんどんきれいになる」など、かわいい・きれいという表現を繰り出してくる。最初からずっとこんな調子だ。ちなみに、“恋愛に情熱的”なイメージを想起するフランス人男性ではなく、日本人男性である。  褒められていると思い「ありがとう」「うれしいわ」「ふふ」などと反応すると、「事実を言ってるだけだよ」という。褒めているのではなく、かわいく

子なしの自分が、社会の子どもたちにできること—35過ぎて私の思うこと。

 妊娠や出産、子育てに興味がない——。そう気づいたのは27歳くらいのときだった。社会人になって早々にノートに書き出した、40歳ごろまでの未来年表には「32歳:第一子を産む」みたいに書いていたけれど。あのころは周囲を見て「自分も結婚したら子どもを産むのかな」と、特に深い考えもなく“なんとなく”考えていたのだろう。  でも年齢を重ねるにつれて、自分ひとりのケアやメンテナンスをするだけで精いっぱいだし、家族はパートナーだけで十分だし、自分の胎内で人を育て、からだから出てきたあとも

人は変わるし、変わらない—35過ぎて私の思うこと。

 「ずっとあなたの味方だから」。20代後半と30代前半に一度ずつ、そんなふうに言われたことがあるけれど、発した人は今や「そんなこと言ったっけ?」状態だと思う。ひとりは刺を感じる物言いをしつづける(ずっとそうだから慣れたつもりでいたけれども、相変わらず「もう、何なのよ〜! もっと言い方あるでしょ!?」と、ムキーッとする私も器が小さい)し、ひとりは「どこかへ消えてしまった」に近い。  どちらも他の人々と比べてはるかに密にかかわっていたけれどもそんな具合だから、人は簡単に掌返しを

目尻の笑いじわも、たくましい二の腕もいい味出してる—35過ぎて私の思うこと。

 これらは経年劣化ではなく、経年変化と呼びたい。 ・目の下やまわりに小さなシミ、そばかすが目立ち始めた ・ほうれい線が深くなった ・額にできている2本の横じわが気になるようになった ・笑うと黒目の下〜目尻にしわが寄る ・こめかみ〜耳あたりの生え際から新しい白髪がぴょんぴょん出てきた。10代のときから若白髪はあったけれど ・目が疲れやすくなって、夕方になると目を閉じて昼寝したくなる ・ブラジャー下の背中肉や二の腕外側の肉がやわらかく、かんたんにつまめる ・二の腕

脱毛と膣錠とかっこつけない私—35過ぎて私の思うこと。

 年齢を重ねるにつれて「恥ずかしい」と感じることが減っている。母や周囲の中年女性たちの言う通りだった。おかげで、自由度がよりいっそう上がっているし、いろいろなことを笑い飛ばせるようになった。  たとえば、腰や背中に生えている産毛。以前付き合っていたパートナーに、脱毛を手伝ってもらったことがある。購入した「水あめ脱毛セット」を渡し、このあたりに塗ったあと専用の紙で押さえてほしいと指示して、毛流れとは逆方向に勢いよくひっぺがしてもらう。  「塗るのうまいね」「わあ、こんなに抜

セックスは日常—35過ぎて私の思うこと。

 セックスという行為を特別扱いしていた時期がある。ふたりのあいだに当たり前のようにあるべき行為であり、これくらいの頻度ですべきことであると。  だから、予定が変わってそれがなくなったときはがっかりしたし、あるときセックスレスという定義に当てはまる状態になったときは落ち込んで、「どうして」と相手を詰めたし、何度か「話そっか」とアプローチしたら、怯えられ、煙たがられた。悲しみをあらわにし怒りで震えていた20代の私はひどく哀れだった。  相手から「そういう対象に見えなくなってる

ベーシックに新提案を取り入れる心地よさ—35過ぎて私の思うこと。

 人生の8割以上をショートヘアで過ごしてきた。大人になってからは自らの意思で、「似合うから」という理由で、短い髪にしているわけだけれど、髪を伸ばすのをやめた決定的な出来事もあった。  大学3年生のとき、ひどく酔っぱらって帰宅し、洗面所の鏡を見てギョッとした。「なんか怖い」「なんで?」と鏡のなかの自分を見つめる。鎖骨のすこし下くらいまである、個人的感覚としては「だいぶロングヘア」が、まったくしっくりきていなくて、不自然さと違和感の圧が強かった。  翌日そうそう美容院に行って

幸福感をまとったからだのつくり方—35過ぎて私の思うこと。

 ワキのうしろや背中の真ん中あたり、ウエスト……「脂」と表現するのが適切であろう、やわらかい贅肉をつまみ上げることができる。からだだけではない。頬やあごから耳にかけてのフェイスラインにも脂肪がついている。「加齢で頬がこけてしまったから」という理由で、頬に脂肪やヒアルロン酸を注入する機会は、私には一生こないだろう。そこで浮いたお金は別の施術への投資に回すことになる。  昔はもう少しほっそりしていたのに。こんなところに肉はついてなかったのに。キックボクシングで勢いよく蹴り出すと

「尊敬できる人」を求める私は浅ましかった—35過ぎて私の思うこと。

 人に「好きなタイプは?」と聞いたことはあるし、聞かれたこともある。国内外の社会情勢について意見を求められるのと同じくらい、難易度の高い問いだと思う。頭を捻らざるを得ない。けれど、「優しい人」だと粒度が粗いし、「かっこいい人」も違うし、「尊敬できる人」と答えていたと思う。  尊敬できる人がいい、というのは本心だった。パートナーとなる相手には「明らかに」「わかりやすい感じ」で、自分より優れたスペック、要素があることを望んでいた。下手に出るわけではないけれど、相手が「優」で、自

私たちはまったく別の個体—35過ぎて私の思うこと。

 親しい年下女性から「何回言っても忘れる夫にイライラする」という話を聞いた。たとえば、「Aはこの位置にこんなふうに置いておこう」とふたりで決め、夫がそのやり方を忘れているものだから、幾度となく「こう置いてね」と言っても、すぐさま忘れてしまい、変な置き方をするのが常なのだとか。 「夫が『何回も言われるのがイヤ』と不貞腐れるのもイラッとする。今日もそんなふうに不機嫌に返されて、『え? なんであなたがキレ気味なの?』ってなった。簡単なことなのに、何回言ってもできない方がどうかと思

「嫌われたくない」が消えていた—35過ぎて私の思うこと。

 35年生きてきて気づいた「無意味なこと」のひとつに、「『嫌われたくない』と思うこと」がある。「この人に嫌われたくない。好かれますように」と念じたところで意味はない。  何かの拍子に人は人を嫌いになるし、好きに転じることもある。こればかりはコントロールしようがない。嫌われる原因を自分が無意識に作っている場合もあれば、外部的な要因が嫌われるきっかけになることもある。  相手と距離を置きたいときに、嫌われるための振る舞いを意図的にするケースを除き、人に嫌われる言動をわざわざす

不調のサインはカンジダで—35過ぎて私の思うこと。

 築年数35年の物件というのは、たいていの場合、どう見ても中古らしく、言葉を選んで言うならば、味わい深い印象を保っている。私が住んでいる築40年のマンションも「ヴィンテージ風味」のある、なかなかいい味を出している。とはいえ、何事も表裏一体にあることは、常に意識しておきたい。  共用部や全体の管理は行き届いているように見えるけれど、窓サッシの汚れやドア下の化粧板に付いた傷、天井クロスのちょっとしためくれなど、細かいところまで挙げれば、経年劣化が進んでいるのは明らかだ。  3