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好きな言葉は「ひとり」、嫌いな言葉は「みんな言ってる」

こんにちわ。先日、ラボで行われた言葉について、の考え方、を知るイベントに参加して、そこで書いたものを元に書いたよ。

参加したのは「言葉と遊ぼう」と題して、セミナーで講師なども普通に務めている某大手広告代理店コピーライター(ラボメン、なんて贅沢なんだろう。)が自主的に開いてくれた、自分の好きな言葉や嫌いな言葉を人に伝える文章について考えるイベントだった。ちなみに、こういうメンバーの自主活動から、他のラボメンがサポーターについて「部活」として継続活動する事もある。

まずは、好きな言葉を一つ選んで、その意味(辞書は使わず、自分の考えで)とエピソードを書く。僕は「ひとり」を選んだ。

「ひとり」という言葉の(僕の考えた)意味は、自分だけの事。他人との距離を感じる寂しさ。孤独という意味だけではない。

丸いフォルムのひらがなが3つつながっていて、可愛い、シンプルな感じなのに使い方が難しい。ネガティブにも、ポジティブにもなる。
例えば、「ひとり相撲」、孤独感をあらわす言葉にもなる。「世界でただひとり」、特別感がある時にも使う。そういう使いかたを選んでるようなクセ者感が好きだ。
つい先日、会社の送別会で久しぶりに再会した同僚の女性(30代前半で独身)にこの言葉を使った。彼女と2, 3年前にランチした時の会話で、「おひとり様」で居酒屋に入れる女性目指してて、今は定食屋までクリアしたと話してた。それを思い出して、「XXさんは、”おひとり様”が出来る(かっこいい)女性ですよね!」って言ったらすごく冷たい目をされた。いかにも、心外そうに「そんな事ないです。」と一言。チーン、終了。その後、しばらく恐る恐る話しかけるハメに。ほんとうに、取扱注意だ。

嫌いな言葉は、「みんな言ってる」。これを言われると、つい頭に血が昇る。心の中か、往々にして口に出して、「誰がだよ!」ってツッコむ。

もともと「みんな」はよく使う言葉で、好きな言葉だ。「仲間」と同じ意味で使う事も多い。「みんな、仲良く」、「みんな、頑張って」、「みんな、ありがとう」。仲間を思う素敵な言葉だ。
それが「みんな言ってる」になった瞬間、誰かが個人的な意見を「みんな」に代弁させて押し付けている。厚かましい、言葉になる。不思議だ。

イベントでは、「可哀想」が自分の感情(エゴ)を他人に向けている無責任さが嫌だという話が出た。または、「正義」という言葉が自分の考えを押し付けているだけで抵抗がある。それから、「頑張って」は嫌いというわけはないけど往々にしてすでにめいいっぱい頑張ってる人に掛ける言葉じゃなくて使い方が難しいという話も出た。

たぶん、僕が「みんな言ってる」って言葉が嫌いなのは、「正義」を嫌う感覚と近いのかな。エゴを押し付けられる感覚が苛立たせる。それに、本来は素敵な言葉を穢している感じも自分が大切にしているものを踏みにじられるようで怒りがわく。というか、今も書いててイラっと来た。なんて、強力なんだろう。

イベントでは他にも、「軽やか」って言葉は(コピーで使い古されているけど)改めて見ると何につけても浄化されるような力があるとか、舞台現場の特殊な言葉の話もした。ひらがなとカタカナと漢字を適度に混ぜた文は軽やかさが出るとか、文字に関する感覚の話もしたし、具体と抽象に注意して共感しやすい文を作るとか、伝わる文の書き方についても。
盛りだくさんの内容をオンラインでの参加者も含めてわきあいあいと話せてとても楽しい時間を過ごせたよ。開催者に感謝。

また会おう。

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