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「ていねいにわかる」ということ

コルクラボ は物語(今風に言えば「ナラティブ」というかもしれない)や編集について話すことは多い。だからか、入ったあとは、自分の話す言葉の意味を考える事がよくある。
いま話している言葉は「ちゃんとわかって」使っているか、この言葉は「ちゃんと伝わって」いるか。そういった事をていねいに振り返り、考える。そうして一つずつ「ていねいにわかる」ことは出来ないかと思う。

僕の中の「ちゃんと」の定義は、とある数学者の方にお聞きした言葉が指針になっている。
ただ、公開情報では無いので同じ話題で一部ではよく語られる言葉で代弁しよう。

「全部完全にわかった」という状態になるまで,考えたり,調べたり,人に聞いたりするのをやめてはいけません.「自分は本当にわかっているのか」と言うことを徹底的に自問して「絶対にこれで大丈夫だ」と思えるようになる必要があります.

「セミナーの準備のしかたについて」より引用
 https://www.ms.u-tokyo.ac.jp/~yasuyuki/sem.htm

清々しく徹底的に言いきっている。これはアカデミックの世界で自分の全てをかける領域についての言葉だけど、同じように自分を表す言葉に対してこのくらいの真摯さは必要だと思っている。


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じゃあどうアプローチして行くかと言えば、以前に書いた「センスを貯める」に近い。

自分の言葉に感じる違和感、他人が自分を評する言葉への違和感を置かずに考える。それについて説明できるまで考える事を繰り返す事で、正確に自分を話せる様になる。質問を受けて、すみずみまで説明できる。分解して、一つ一つの要素を説明できる。そうやって、自分のことを「ちゃんと」わかる。


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ただし、言葉で丁寧に説明できたとしても、「相手にちゃんと伝わっているか」はわからない。

その人には言葉への独自のイメージがあって、自分と一緒とは限らない。というか、普通は違う。だから、感覚として伝えなければならない。

頭でわかった自分に対する理解が身体に染み込んで、様々な場面で心の動きが自分の何と紐付いてるかを感じとる。「心地よい」ことに積極的に行動を起こす様になる。

その様を見て、初めて、周りの人に自分の言葉の(自分にとっての)本当の意味が伝わるんじゃ無いだろうか。そして相手も何かを感じて、心を動かし、都合が合えば自分のために動いてくれる。


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こうして自然に動き、相手が感じるまでいって初めて「ていねいにわかった」と言えるんじゃないだろうか。

そんなことを思いながら昨日書いた「好きは続ける努力」の先、自分たち夫婦の事を考えていた。

はたして、「妻を大事にしたい」という思いを自分は「わかって」いるのだろうか。

疑問を持った時点で、きっとわかってない。だから「絶対にこれで大丈夫だ」と思える日まで感じて、動いて、また考える。相手に届くまで、集中して、積み上げていく日々を過ごす。


ひとりの人への想いを「ていねいにわかる」ことさえ、自分には精一杯だ。


おわり。

#毎日出す 20191006 DAY14

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