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魂の行方

柳田國男の代表作『遠野物語』に出てくる話の中でも、「魂の行方」の中の第99話は特に印象に残る話である。

明治29年に東北三陸地震(明治三陸地震)が起こった。このときの地震はそれほど大きなものではなかったが、大津波が発生し甚大な被害が生じた。この大津波災害から少し経った頃の話である。

海辺の田の浜というところに婿にいった北川福二という人がいた。大津波で妻と子を失い、生き残った2人の子と小屋を設けて暮らしていた。

津波から1年ほど経った夏の初めのことである。福二は夜に便所に起きたところ、向こうの霧の中で夜の浜辺を歩く男女二人の姿を見た。よく見れば、それは津波で死んだ妻であり、思わず名を呼んだところ、振り返ってにこりと笑った。男の方はと見ると、妻が自分と結婚する前に深く心を通わせていたと聞いていた者であって、やはり津波で死んだ者であった。

今はこの人と夫婦であると、妻はいった。福ニは思わず、「子供は可愛くないのか」と非難するが、妻は一瞬涙を見せ、その男と足早に立ち去ろうとした。福ニは追いかけるが、死んだ者だと気づき、そのまま道にたたずんで朝になってようやく帰宅した。このような話である。

私はずっと、この話ほど人の霊魂の存在をリアルに感じさせる話はないと思っていたが、最近、ある本で、この福ニの妻の死体は結局上がらなかったということを知った。福ニは、妻の〈仮葬式〉を行って弔ったということである。

そうすると、上の話はまったく別の文脈で読むことが可能である。つまり、福ニの妻は実は津波で死んでおらず、死んだことになっている彼女は、同じく死んだことになっている、むかし心を通わせていた男と災害による混乱の中で偶然再会したのではなかったか。そして福ニは、夜に駆け落ちするところの妻と、これもまた偶然出会ってしまったのではなかったかということである。

では、なぜ柳田はこの話を「魂の行方」として扱ったのか。

「魂」の在処は人の心であり、親しい人や愛する人の〈その魂〉も自分の心の中に存在する。この話は、死者を含めて自分から去っていった者に対する、残された者の〈心のけじめ〉の話ではないかと思えるのである。(了)

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