風に吹かれて
ミネソタ州ダルースで生まれ、10代でギターを始めた19歳のロバート・アレン・ツィマーマン(Robert Allen Zimmerman)は、大学を中退して、フォークシンガーになる夢を追ってフォークミュージック発祥の地、ニューヨークのグリニッチビレッジにやってきた。青年はその時にみずから、ボブ・ディランと改名した。
ほんの数年前までは、平凡で予測可能だと思われていたアメリカ社会だが、その当時は道徳的な怒りでどんどん構造的な変化が生まれようとしていた。
フォークも、人種差別撤廃、核軍縮、社会正義実現などを主張する反体制的な音楽だった。ディランの「風に吹かれて」は、ピーター・ポール・アンド・マリー(PPM)が歌って大ヒットし、公民権運動のシンボルとなった。
1963年8月28日、キング牧師が「私には夢がある」と演説したワシントンD.C.の集会では、ディランはジョーン・バエズとともにこの曲を20万人の熱狂に包まれて歌った。
その1年後、ディランは全米ツアー中のビートルズに会いに行った。マンハッタンの高級ホテル6階のスイートルームの前には20人の警官が警護していた。
部屋に入って初対面の挨拶を交わすと、ディランは「みんなでリーファー(草=マリファナの隠語)をやらないか」と提案した。ディランは、彼らが未経験だったのに少し驚いたが、ブラインドを下ろし、外にいる警官たちに匂いが漏れないように鍵のかかったドアと床の隙間に慎重にタオルを置いた。そして数分後にはみんな打ち解けて、大笑いしていた。
すでにジョンとジョージはマリファナの経験があったという話があるが、少なくともポールとリンゴは初めてだった。リンゴは、マリファナのエチケットとしてジョイント(マリファナを紙に巻いたもの)を分け合うことを知らず、自分で吸ってしまった。
のちにポールは、「ディランにマリファナを紹介されたことを誇りに思っている」と語った。ただし、ディランは、少なくとも公の場ではマリファナを含むいかなる薬物の使用も否定している。
1968年、ロンドン警視庁はロンドンにあったジョンのアパートでマリファナを発見した。ジョンは否認したが、所持罪で有罪判決を受け、罰金が科された。この有罪判決を受けて、移民国籍法(INA)第212条(a)23号(大麻所持の有罪判決を受けた外国人は米国から「排除可能」)が発動された。そして、移民裁判所は4年の審理ののち、3月23日にジョンに国外追放を命じた(永住権を持っていたヨーコは除かれた)。
ニクソンがジョンのベトナム戦争への抗議を理由に国外追放に踏み切ったのだといわれ、ただちに「Let Them Stay in the USA」キャンペーンが展開された。先頭に立ったのはボブ・ディランだった。他にジョーン・バエズ、レナード・バーンスタイン、ジョセフ・ヘラー、ニューヨーク市長ジョン・リンゼイなど多くの著名人や芸術家たちが追放に反対した。
ところで、1964年に、ディランがわざわざビートルズに会いに行ったのには深いわけがあった。
実は、ビートルズが歌う "I Want to Hold Your Hand"(抱きしめたい)を聴いたディランは、 "I can't hide" を "I get high" だと聞き違えて、彼らと一緒に楽しむためにマリファナを持参したのだった。(了)
参考
・The Rock Journalist At a High Point In Music History
・ジョン・レノン VS アメリカ:ジョン・レノンと国外退去命令
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