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私が教員免許を取らなかった理由

こんにちは、実は両親ともに小学校の教師だったSONOCOです。

両親が教師、という家は比較的あるかもしれませんが、そんな中でも私はひとりっこだったので、それなりに思うことがありました。

この話をするきっかけ

じゃあなんで、こんな教員免許を取らなかった理由について書いてみようかと思ったかというと、現在パートをしているんですが、その仕事先で新人さんが入ってきたんです。

そして、引継ぎをしていく中でお互いのことを話していると、「どうして両親ともに先生だったのに、先生になりたくなかったんですか?親が先制打から子供も先生って結構普通にあると思うけど、、、」と言われたんですね。

それに対して、私は明確な答えがあったので、それを伝えたんですが、「親が先生なのに敢えて免許を取らなかったんですね!え~!いろいろあるもんですね!」と驚かれました。

私にとって、学校という場所がとても身近だったので、あえて今回自己開示も含めて、子どもから見た教師という職業についての考え?を書いてみたいと思います。

教員免許を取らなかった理由は4つ

教員免許を取らなかった理由は主に4つあります。
順番に書いていこうと思います。

まずはこれ。

①学校の行事がいつもかぶる

これは、あるあるだと思います。

私の両親はともに小学校の先生でした。
なので、小学校に入ると、大体の行事が重なります。

・家庭訪問
・運動会
・参観日
・遠足
・・・などなどが主ですね。

特に運動会、参観日は、子どもにとって親に見てもらえる大チャンス。

日ごろの頑張りを認めてもらいたい子供の承認欲求を満たすには十分すぎる行事ですが、これも大体おばあちゃんが来てくれていました。

まれに参観日登場してくれてたけれど、大体学級懇談といって、授業が終わった後の親同士の懇談会だけ、とかでしたね。

たまたま近くの学校に赴任しているときだったのかな?授業が終わって、そのままダッシュで駆けつけてくれた、みたいな感じだったと思います。

でも、不思議と来てくれていた参観日のことってあまり覚えてないんです。それよりも、振り返ったら、友達のお母さんの列にまぎれておばあちゃんが立っていた様子が浮かぶだけ。

よほど感情が動いていたんだと思います。

次にこれ。

②仕事を持ち帰る

「仕事を持ち帰る」もあるあるかもしれませんね。

このご時世だいぶ減ったのかなー。

それでも、昔はパソコンだってここまで機能が良かったわけでもないし、印刷機能だってそんなにすぐれていたわけではないので、掲示物も手書き。

模造紙やら画用紙やら裁断機やら。

おかげで家には文房具がたくさんありました。

会社にありそうな複合機プリンター?(立って使うおっきいやつ)もありましたね。

あとは、業務としてマルつけとか。テストの後の、あのマルつけですね。

単元ごとにおっきなテストがありますが、あれ、1クラス40人くらいのを国語算数理化社会と持って帰ってくるので、テストの束がドンドンドン!

ここだけの話、マルつけ手伝っていた時期もあります。それくらい大変そうだった。

で、そうやって持ち帰るから、なんとなく期末とかせわしないんですよ。

通知表もあるしね。

あれも今では個人情報がどうのこうのとかで学校でやるしかない状態になったみたいですが、当時は持って帰ってきて、さらに手書き。

もう大変ですよ。

私が大人になってからは厳しくなり、親は逆に持ち帰りができなくなったことを嘆いたりしてましたけどね。

そして、3つ目はこれ。

③休みの日も時間外もいつも「先生」

仕事から帰ってきても学校から電話。休みの日なのに、保護者から電話。

おかげで電話を受けるのは上手になったかもしれないけれど、いっつも電話に出てたなーと。

時間外なのに、クラスのことで保護者と長電話。

家族で夜ご飯中でもお構いなし。

スマホになって、どんどん電話からラインとかメールとかに変わっていった感じはしますが、とはいえ、残業代もなくボランティア。

お出かけしよーなんて誘っても、例えば夏休みのようやくある数日の休みでも、「昼間に出ると「学校の先生は夏休み長くていいわね」って言われるから夕方まで待って」とか、同じ県内だと生徒や保護者に会うから、県外に行こうとか。

仕事って家族よりも優先度高いんだなーって感じていました。

それがきっと嫌だったんだな。

最後に4つ目はこれ。

④教員免許を取ることでいつか自分も先生にならないといけなくなると思った

そんなこんなで、教員免許を取ったら、先生にならないといけなくなるのではと思ったのです。

親の七光りじゃないけどさ、やっぱり学校の先生たちの世界はそれはそれで狭くて、つながっていることを子どもながらに感じていたので、免許を持ってることがわかればすぐに学校の世界に連れていかれると思っていたんですね。(どんだけw)

それで、なんとかして先生というものにならない方法はないかと思い、そもそも免許を持っていなければならなくて済む!なんて安易な考えをしていた若き私です。

別に免許持っててもならなければいいだけの話しなのにね。

変なプライドを持っていたのかもしれません。


私が望んでいた3つのこと

先生になりたくない理由と言い換えることもできるかもしれませんが。

親にたいして私が思っていたことは主に3つになるかなーと思います。

まずはこれ。

①学校の行事には来てほしかった

上で書いたように、まあことごとくかぶるんですよ。

小学校低学年のときは、毎回期待しては裏切られるを繰り返し、
もう小学校高学年になればなるほど、参観日のお知らせがあるたびに
「どうせこないんでしょ?」っていうあきらめ。

たぶんこれをうちの親は感じていたのか、今では「あんた、参観日だけは絶対行きなさいよ!」って言ってきます。

なんて、感じていたかどうかは別で、先生として、クラスで授業をすると、やはりくるおうちとこないおうちがあるみたいなんですね。

そんなときの生徒の顔をうちの親も先生側から毎回見ていたことから、絶対行ったほうがいいと言ってるんだと思います。(後日談)

②家に帰るといつもひとりで寂しかった

2つ目は、これですね。

ひとりっこだったことと、近くにおじいちゃんたちの家があるわけではなかったこともあり、ずーっと【かぎっこ】だったんですね。

一応ほったらかしだったわけでもなく、帰ったらやり取りノートが置いてあって、帰ってきた時間とか、帰ったらやることとかが書いてあるノートがあってそれを見ながらいろいろこなしていたんです。

でも、なんだかんだ親が帰ってきてたのって何時だったかな。

赴任先と自宅の距離にもよりますが、低学年の時はまだ18時ごろには頑張って帰ってきてくれていたかもしれません。

でも教師って異動があって、県内ならどこでもだいたい動くんですよね。

なんで、結構遠いと、片道車で1時間半とかかかったりする。遠いから単身赴任という手や引っ越しするところもあるんですが、我が家の場合は家を小1の時に建てたので、基本単身赴任や引っ越しという選択肢はなかったみたいで。

両親ともに頑張って通っていたと思います。

そんなこんなで、遅いときは20時ごろとかの日もありましたね。

だからかな、一人の時間が多くて、楽しかったけど、やっぱり寂しかった。そんな思いが結構残っています。

③よそのうちばかり気にせず自分を見てほしかった

これあるあるかもしれないんですけど、スーパーとか普通に買い物に行っても「あ、先生だ!」って声かけられるんです。

こっちとしては、親が先生モードに入るのがわかるんですねぇ。

子どもとして、親が自分に意識がないのはなんとなくわかるというか。

で、よその子がどうだとか、悪口とかじゃなくて、どうしたらもっとよくなるか、みたいな話をまあ両親ともに教師なので話し合ったりしてたりしてそれを聞いてたりはするんですけど、いっつもよその子のことばっかだなって思ってた気がします。

せめて、ひとりっこだったので、話題になるとしたら私のことだけなのでまだましだったかもしれませんが、これで兄弟なんかいたら、余計に自分のこと見てよ!って気持ちが強くなってたのかもしれないなーなんて思います。

教員免許を取らなかったことで気づいたこと

そんなこんなで、教員免許を取らなかった私ですが、社会に出て、今になって思うことはあります。

・免許を取っていたら、働く選択肢は広がっていたかもしれない

免許を持っていたら、働く選択肢は増えていたかもしれないって、本気で思います。

・・・というのも、今実際親になって、子育て、教育にかなり関心がありますし、実際子供のころから親が教師だった分、教育面にはそうじゃなかった人に比べたらまだいろいろ知ってる方なんじゃないかなと思うのですが、いかんせん免許がないだけで、何もない人扱いになってしまう。

それがとても残念でなりません。

「教員免許=小学校で働く」なんていう安直な考えがあったために、それから逃れようと必死でしたが、今この時代、別に必ず教員免許を生かす場所が、学校とは限らないわけですよね。

フリースクールとかそれ以外にも子供たちに触れあい、何かを伝える場面は持てたかもしれないのに、惜しいことをしたなと思っています。

・教員免許があるだけで、大学を出た人とわかる

特に資格を取らずに大学を卒業してしまった私としては、仕事何してるの?とかなんか資格ある?という質問を受けると、結構モヤモヤしてしまいます。

反対に、偏差値とか大学のレベルとか関係なしに、「教員免許を持ってる」だけで、経験もないひとのほうが、持ってない私と持ってるその人との評価がぐっと変わる。

社会に出たら実力がモノをいうんだと思っていたけれど、そっか、そういうわかりやすい指針も一応大事なんだと思いました。

さいごに

小さいころに思っていた想いから、免許は取らない!なんてかたくなになっていましたが、持ってて使うかどうかは選べたんだから、持てる状況にあったのなら、免許取ってたら良かったなって今なら思います。

教員免許を取ろうかどうか迷っている人がもしいたら、まず免許を取れる環境にあることに感謝しつつ、とれるなら取ることをおすすめします。

だって、免許を持っていても、使うかどうかは選べるんです。

免許があるかないかで、同じことを学んできても評価が変わるなら、持っていてもいいんじゃないかな、と思います。

迷ってる人のなにかヒントになったらうれしいです。


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