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親に内緒で彼氏と旅行 (40年前の話)

 物置となっている夫実家の三畳間を片付けた。
ありとあらゆるガラクタが詰め込まれた中から、大きな茶封筒に入った懐かしい物を発掘。

中国旅行の遺物

地図、時刻表、飛行機や列車や観光地のチケット、紙幣、伝票…。
後に夫となる当時の彼氏と二人、バックパック背負っての貧乏旅。大学生だった40年前のこと。
もちろん親には内緒で、私は一人旅をしたことに。
勘が鋭く厳しい母に絶対に気づかれてはいけないと、私は写真を撮らず日記もつけず、レシートやチケット類も二人分とか夫の名前など思わぬところからアシがつかないよう、全て破棄した。
思い出は全て頭の中に…なのでどんどん忘れていった。

一方夫はというと、さすがに彼女と二人旅とは言っておらず日記がわりの手帳にも私の事は一切書いていないものの、親にはだいたいバレていたよう。
物を取っておかない派の私と違い、何でも記念にと捨てない夫を私は「思い出野郎」と呼んでいる。
でも、その思い出野郎のおかげで、すっかり忘れていた40年も前のことが色々蘇った。

日中国交正常化から10年ちょっと経っていたが、個人旅行で日本から中国本土にはまだダイレクトに入れなかった。成田から香港に飛んでビザを取得。何もない荒野の深圳を通り過ぎて列車で広州に入り、香港とのあまりの違いに驚いた。

夜になると街は真っ暗。電飾がある店はほとんどなく、街灯も少ない。
日中もなんとなくどんよりと暗い雰囲気。

広州駅
交差点ではお巡りさんが手信号
荷馬車も普通に
なぜかネズミ本体と尻尾は分けて販売


通りは自転車だらけ、人々の服装も人民服がほとんど。顔は同じ東洋人でもダウンにジーンズ、バックパックの私たちは明らかに外国人で、街角でも乗り物の中でも物珍しそうにじろじろ見られ、話しかけられた。

地図を広げているとワラワラと人が寄ってきて、道を教えてくれようとする。
中には、私たちが日本人とわかると「日本人ならフチが青いあの本を持っているだろう?あれを開いて見せろ。見ながら詳しく教えるから」と言う人も。
「フチが青いあの本」とは、『地球の歩き方』のこと。あの頃の『地球の歩き方』は天地と小口が青かった。インターネットも無い時代、マイナーな地をうろつく日本の個人旅行者にはバイブルだった。
私たちもお世話になり、旅の終わりにはボロボロになっていたが、今回の発掘作業では見当たらず思い出野郎も残念がっていた。

ウエストポーチ、珍しがられた


駅の窓口や列車はいつも大混雑で、切符を買うのに毎回一苦労。
「排队(並べ)!」という怒号が飛び交う中、窓口に近づくことすらできずオロオロしていると、親切な人民解放軍の兵士が助けてくれたことも。
どうにかこうにか3週間弱、南京、鄭州、杭州、西安、北京、上海などを回ったが、なぜか観光地はどこも空いていた。

天安門広場は思ったより人は少なく、

万里の長城も全然混んでいない。


一番気に入った西安、夜の屋台の羊肉串焼きがおいしかった。見どころもたくさんで、のんびりしたいい街だった。

郊外の兵馬俑は仮設の体育館みたいな簡素な造りで、ここも私たち以外人がいなかった。
埋もれていたのを農民が発見したのが1974年、一般公開が始まってまだ10年も経っておらず、世界遺産の登録前。
チケットを見ると入館料ニ角だけど外国人プライスで三角。それでも10円しない⁉︎
市内から離れていてバス便もないのでタクシーをチャーターして行ったが、見終わって外に出たらドライバーが見当たらず焦った。

楊貴妃が入ったというお風呂(絶対違うと思う)
華清池も、ほんとにここ?と不安になるほどガラーン。

国慶節の大型連休で民族大移動、中国国内の観光地が人でぎちぎちのニュースを見、ブランド品に身を包んだ中国人旅行者で溢れている東京を歩いていると、しみじみ隔世の感。

余談だが、カレシと二人旅だったことは今でも母には内緒。

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