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生まれた時から罪を背負っているのなら - 重力の光

 朝起きて窓を開けると、涼しい空気に金木犀の香り。今年もいい季節がやってきた。

 シアター・イメージフォーラムで『重力の光: 祈りの記録篇』。観ようかどうしようか迷っていたが、新聞でこの映画について後藤正文が書いていた文章に背中を押された。特に最後の方の、

 許す許さないの判断をすることの傲慢さ。ならば、許し合える社会こそが美しいのではなく、懸命に生き、黙したまま傍らに立って手を添え合うような精神こそが、社会には必要なのかもしれない。
 信仰とは何かを、静かに問いかけるような映画だと思った。

後藤正文のからロック 手を添え合う精神こそ
2022.9/28 朝日新聞

という部分に。

2022年 監督/石原海

舞台は北九州の東八幡キリスト教会。この教会の牧師は困窮者支援のNPO法人「抱樸」理事長の奥田知志。
知志氏に先んじて、息子の愛基氏の名前を知っていた。
特定秘密保護法や安全保障関連法の反対運動をしていたSEALDsの活動に注目していたのだが、その創設メンバーの一人が愛基氏だった。
名前から、この人はクリスチャンホームの人なんだろうなと思っていたら、やはり父親は牧師でその教会には日々いろんな人たちが出入りしていて、その中で愛基氏は育ったと言っていた。
「いろんな人たち」とは、社会的に困難な立場にある人たち。
そこから、お父さんである奥田知志氏の方にも興味を持つようになった。
NPO法人「抱樸」という名前もすごい。自身も傷つくことも織り込み済みで、それでも他者をそのまま抱きとめる。

映画は奥田氏や「抱樸」の活動風景も出てくるが、メインは教会メンバーの個人的バックグラウンドについての語りと、彼らが演じる受難劇。

元極道、元ホームレス、虐待被害者、生きる意味に悩む人……困窮者支援をする北九州のキリスト教会に集う、傷ついた愛すべき「罪人」たち。
彼らが演じるキリストの受難劇と、彼らの歩んできた苦難と現在の物語を交差させたドキュメンタリー。

映画フライヤーより

私は受洗しているが、もう数十年教会の礼拝からは遠ざかっている。母教会は居心地がよく、娘も赤ちゃんの時から教会コミュニティの中で育った。けれどもある時からその居心地の良さに、逆に居心地悪く感じるようになった。
転居で物理的に母教会から離れたこともあり、なんとなく行きづらくなってキリスト教的生活からは遠ざかって今に至る。
理由は色々。トランプと福音派の関係とかカトリック教会の闇とか教会の在り方とかキリスト教に限らず宗教自体が抱える問題とか。

でも、映画で出てくる教会の礼拝風景にはやはり懐かしさを覚えたし、過ちを犯しても犯しても、それでも祝福はあるというのをうっすらと思い出した。
今でもそのことについて葛藤はあり、私の中で整理できてはいないが。
信仰についての疑問に答えは未だ出ていない。

それでも、映画は良かった。受難劇は素人の教会員が演じるので当然プロの演劇ではなくぎこちないのだが、演じる一人一人が抱えているものが厚みを加えている。
元極道のイエスも違和感ないどころか、いいイエスだった。練習中もセリフのちょっとしたところに疑問を投げかける場面とか。
あと、天使の姿で屋外の荒野(?)で踊ったり煙草を吸ったりしていたシーンの挿入も。
石原海はとても若い監督で、荒削りだけれど引き込まれる作品。これからも注目していきたい。

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