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2024年 5月の思い出 はじまり
他の言語を学ぶと、会話だけなら耳で覚えることができても、文字となると大変で、なかなか覚えにくい、あるいは覚えられないことを経験したことがあります。日本語も時間がかかったことを思い出し、少し日本語について調べてみました。
日本の言葉の歴史を調べると、漢文とそれによって書かれた文物が西暦100年ごろ日本にもたらされたと言われています。
当時日本に住む人々にとってそれは外国語です。そこに外国語(漢文)を使い統治を進める人々がいたのですが、大多数の人々の使う言葉は独自の話し言葉だったと考えられています。話し言葉を取り込み、それにあった文字を生み出すのか、あるいは漢字・漢文を普及させる、あるいはするかの2択になります。
具体的にみていくと、文献としては古事記(西暦713年頃)の頃はまだ漢字のみ、そこから約200年の間に多数の書籍が作られ、古今和歌集(西暦913年頃)で仮名と漢字で著されるようになります。
200年の時をかけ、多くの人の手で漢字・漢文は徐々に日本の言葉へと変わり、その言葉で勅撰和歌集が著されたことで、今に繋がる日本語の始まりとなったと思えます。
結果として漢字・漢文がそのまま使われるのではなく、日本で使う漢字が残り?、そのなかに独自の漢字が加わり、また漢字から仮名という不思議?な文字が生まれ、仮名と漢字を組み合わせた日本独自の文章表現が生まれていきます。これが日本語になります。
なお個人的に仮名のおかげで日本語が母国語でも文法として使い方を理解するのは超絶困難と感じます。感じろとしか言えない感じです。
なお歌集が出る約70年前の西暦839年、最後の遣唐使が実施され、以降漢字・漢文の世界と距離を置き、独自の世界の見方、価値観を頼りに進む感じになります。
漢字は具象的なところからはじまり、日本で感情や、音、雰囲気など抽象的な事柄の表現に仮名が使われることで、表現の有り様が大きく変わったのかと思っています。
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ウイリアム デ クーニン
景色の中の女性 (部分)
東京国立近代美術館
キャンバスに貼られた紙の上に油彩で描かれている絵のため、
油の滲みが生じていることで輪郭が浮き出てくる感じがします。
絵の好きな点は黒が入っていることです。
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植木茂
作品 (部分)
顔と勝手に思っている方向から見て
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タイトル上写真
ご近所の薔薇の一種
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