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グリグリグルダンムニュフルタン(1)

グリグリグルダンムニュフルタン。
これは全く出鱈目の話。
高熱のときに見る夢、または、深夜のコンビニで立ち読みしているときの妄想。あるいは疲労困憊の自動筆記。そして、深夜のコンビニで立ち読みしているときの妄想である。



「ごめんなんやけど、これ。ちょっとみてほしいんや」
「印刷部の人が加工部までなんの用だ」

 印刷部の人間、吉賀がやってくるなり、伝票と先週納品した封筒を見せてきた。
 封筒にはインクで擦ったような跡があり、あからさまに製品として納めるのには難があった。事故だ。クレームだ。すぐにそういう言葉が浮かんできた。

「いや、これな、ここのスミの分でミズギレかなんか知らんけどな。出とるらしいんやわ、納品しとるやつにな、これ。汚れとるんやわ。これな、ワシ混入防止の札下げ取った思うねん。ほんで、これまるまる80部ほどあかんやつ出ていたらしいんやわ。これ、なんで仕上げの段階で気が付かへんかったんやこれな」
「俺はしらぬ」
 俺は知らぬ存ぜぬの顔をしたまま、仕事をつづけた。

 ドイツ製の断裁機で紙をざんざきざんざき切ったあと、戸棚に隠していた卵を二個取り出して両手で握りこみ、ふんぞり返りながら、隣にあったステンレス製の流し台に向かった。
 あまり一般には知られていないが、印刷会社の製造部には大きな厨房があることが知られている。弊社はドイツ製の印刷機と加工機が揃う中、厨房だけは日本製だ。
 通常、紙を切る工程と製本する工程の間には、ファミリーレストランに匹敵する厨房が設けられているのが常であるが、弊社は予算、というよりスペース的な都合だろうか、やや小規模なものになっていた。
 この点はブランドを統一していないのが恰好が悪いので不満であったが、厨房が日本製というのは正直助かった。
 第一ドイツ製だからと言って使い勝手がいいわけではない。やつらの国の住人とわれらとでは身長がガタイが段違いなのだ。ドイツ製(聞けばイタリア製が普通らしいが、その辺は詳しくない)はどうにも調理台の高さが高くてかなわないのだ。やはり、国産の厨房の方が、文字通り身の丈にあっているのだ。この点は普段カラオケで82点をたたき出す社長といえど、英断と言わざるを得ない。

 俺は卵を台の上に置くと、わけもわからない怒りを感じたまま、調理を始めた。こういうイライラした時は料理するに限る。
「おい、お前、まさか俺を無視するつもりなんか」
 吉賀こそ、その汚い封筒を俺に見せて何の用なのだろうか。
 殴ってやろうか。今の俺はむしゃくしゃして、むしゃむしゃにしてやりたかったのさ。
「卵はな、Lサイズ10個238円だぜ」
「卵も大事だけど、今は封筒に専念してほしいんや」
 吉賀の言い分はよくわかる。ミスをしたのは俺のせいだと突きつけたいらしい。しかし、元はといえば大量の印刷ミスを後工程に回した貴様のせいなのだ。

 俺は断固として冷凍庫からミックスベジタブルとソーセージを取り出した。そして、自分よりも二回りも年を取った男に対して、言葉を突きつけた。
「知らん!」
 その言葉に吉賀は憤懣し、包丁を手渡した。そして、その包丁を受け取り、ソーセージを切っている間、吉賀はこめかみに青筋を立てながら、数枚の封筒のミスが大きな信用失墜につながるのだと熱弁した。悲しいかな、印刷業。一つのミスが発見されれば、全ての製品の信用が失墜されてしまう。しかも、今回は連続して80枚もミスが出たのだ。信用失墜も甚だしいと、吉賀は肩をわなわな震わせた。

 だが、そんなことは知ったことではない。俺のミスではないのだ。お前のミスなのだ。
 俺は切ったソーセージとミックスベジタブルを油の入ったフライパンにあけ、コンロのつまみをひねる。中弱火にセットし、木べらを片手に軽くフライパンを振ると、ニンジンの赤、トウモロコシの黄色、グリーンピースの緑、ソーセージが鉄の上で弾ける。この段階で黒コショウをかけておくのが俺の正義だ。意味は特にない。
 フライパンの彩りたちに油を表面に絡ませると、コンロの五徳にフライパンをカランと置き、それみたことか、吉賀よ。鉄のステージの上でニンジンやトウモロコシがちわーちわーと音を立てて、炒められているだろう。まるで三河屋のサブちゃんだ。
 それを尻目に俺は獣の素早さで、五升炊きの炊飯器からボウルにご飯を取る。吉賀はクレーム報告書を突きつけてきたが、俺は両手に菜箸を持って威嚇した。
「料理中だぞ! これが目に入らないか、蟹! 両手菜箸の蟹だぞ! 料理中の蟹は誰にも邪魔することはできないんだ! わかったら、国に帰んな!」
 俺は小さいボールに卵を二個割入れるとしゃかしゃか混ぜあわせた。ここに軽く塩、そしてオリーブオイルを少し垂らす。最後に忘れてはいけないのは少しだけ水を含めることだった。
 右手で卵を混ぜている間、もちろん、左手では菜箸の蟹をかにかにさせて吉賀を威嚇する。これが作法だ。
「なんだと、小僧! これでもくらえ!」
 吉賀は慌てて両手にレンゲをもち、尻にまな板をはさみ、禁断のシーラカンスをやってしまったのだった。

Oh, mon Dieu!

失望 en France


 俺は額に手をやって、この男のしでかしたことに絶望した。こういう男が日本の失われた30年を生み出したのだ。恥を知るがいい。
「この野郎、料理道具を尻に挟むんじゃねえ! 汚いだろうが!」
 俺は吉賀を殴った。誰が見ても当然の報いだった。後ろで見ていた社長もそれはしょうがないとばかりに何度も頷くような仕草を見せた。
 吉賀は印刷所の脂ぎった床をつるつると滑っていき、奥にあるプラテーン式印刷機に衝突し、顔がプラテーンされてしまった。吉賀の額には皮肉にも結婚披露宴の文字が埋め込まれてしまった。そう、印刷機に結婚披露宴に使うカードの刷版が取り付けられていたのだ。

「何をやっとるんだね、君は!」
 プラテーンを動かしていた伝説の社員鉾田は昔ながらの醤油ラーメンをすすりながら、緊急停止レバーを引き、古賀を救出した。たっぷり麺をすすり、チャーシューを頬張ると、鉾田はインク缶の隣にあった七味を丼鉢に書けながら、吉賀を説教した。
「吉賀よ、クレーム処理よりも大事なことがあるんじゃないのかい。シーラカンスはダメだ。このチャーシューのように生きていきなさい」
 鉾田は二枚目のチャーシューを優しく、吉賀の頭にのせてあげると吉賀(結婚披露宴済み)を自分のところにまでけり込んだ。そして、案の定ころころ転がってきて、俺に謝罪した。

「確かに、まな板を尻に挟むのはNGだったわな。すまん」
「分かればいいんですよ、二度としないでくださいね、肉鰭類なんですからね、シーラカンスは。最低ですよ。茹ですぎたマカロニ」

 俺はご飯をすでにフライパンの中に放り入れていた。
 木べらで叩きながら炒め、塩をして下味を整える。こういう時に均一に塩を振れる缶を用意しておくものだ。料理が楽しくなる。それにしても塊のままご飯をいれてしまった感じがする。少し混ぜ込みすぎたような気がした。ご飯の粘り気が出ている。因果応報だ。
 具とよく混ざり合ったご飯を寄せて、フライパンの真ん中にスペースを空けて鍋肌を露出させる。
 やや火を強くすると、そこにケチャップをどばどばと注いでいく。意外と入れてしまうのでいつも躊躇してしまうが、入れすぎぐらいがちょうどいい。俺は貧乏性だから少しぐらい多めに入れないと味がしないケチャップライスになってしまう。
 ケチャップライスが出来上がると、フライパンをコンロから外して、別のフライパンを取り出した。ようやく卵の出番である。
 俺はフライパンに油をたっぷりと入れると、コンロを点火、中火で温まってきたところに卵を入れる。
「でもな、クレーム処理はせなあかんねん。クレーム処理はな……」
 吉賀は敗残兵のようにうなだれて、欠片ほど残った企業への忠心を頼りにして、ぶつぶつとモノを言いながら、皿を用意した。ラグビーボール型の金型を取り出すと、そこにケチャップライスを詰め込み、皿の上に手際よく皿を入れた。ここでは負けたものがケチャップライスを皿にのせるのがセオリーだ。
 クレームに執着する姿勢は俺を苛立させたが、手際、それ自体には感心する。この男も印刷会社の社員の端くれなのだ。

 俺は思うところがあって、冷蔵庫から冷えた瓶を取り出した。どこからともなくやってきた社長がグラスを用意したので、俺は慌ててそこに白ワインを注いだ。
 そして、社長は何も言わず、そのグラスを吉賀に渡した。
「……社長」
「うむ」


Cincin!

たちまちグラスが触れ合う音

 

 小気味のいい音が印刷工場中に広がった。その音に皆は目を瞑った。
 社長と吉賀の乾杯である。二人は一気にグラスを乾かした。

 そんなことはどうでもいい。
 しばらくすると、卵が固まってきたので、急いで菜箸でかき混ぜる。
 ここからが勝負だ。俺はフライパンを右手で持ち上げて、左手で右手首を叩く。すると、卵は一人でくるくる回りはじめた。
 今回はうまくできた。俺はできたオムレツをケチャップライスの上に置いた。
 オムライスの出来上がりだ。俺はオムライスを吉賀の目の前に置いた。
「吉賀、封筒をよこしな。それとクレーム報告書もな」
「吉沢、お前……」
 俺は吉賀が渡した封筒80枚とクレーム報告書を受け取ると、その場でバリバリと破って、オムライスに振りかけて、もりもりとそれを平らげた。
「クレームはオムライスにかけて食べるに限る」
「よッ、吉沢屋!」
 鉾田は爪楊枝で歯を手入れしながら、声を上げた。

 おわり。
 トリケラトプス。

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