どうやったら正解ルートに行けたんだろう……

私に才能というものはないと、常々思っている自分がいる。
そしてそれは、間違いではないと思う。なぜなら、私ができることのほとんどは、私よりも上手にできる人がたくさんいるからである。

最近は学校でも個性を重んじる方針が取られていて、自分も教員免許をとるにあたってそういう話はよく聞いた。私はうまく自分の夢とかを語れない人間で、「こういうことが好きなんだ!」と言うことができなかったから、自分の時より自由な学校の雰囲気というのはちょっと羨ましい。
そんな環境だったら、自分ももっと好きなことができて、まっすぐ育ったのかなぁと、そうやって思うこともある。実際、紆余曲折あって今の仕事をしていて、別に悪い仕事ではないと思うけど、自分の夢の第一希望かというと決してそうではない。就活をしていた大学生の自分にとっては第一希望だったけど、もっと小さい頃に思い描いた自分はそうじゃなかったよねというお話。

人生は妥協の連続と歌う人もいるくらいで、その妥協の上に立っている今の自分は、もしかしたら少ない後悔で踏みとどまっているかもしれない。でも、踏みとどまっているに過ぎなくて、決して前向きではないことに気づいてしまうと、「あれ?自分は何がしたいんだっけ?」と自分自身を見失ったりする。
じゃあ、自分がこんなことになったのは誰が悪いの?って敵を探して、社会とか、親とか、標的にしやすい相手を敵に仕立てたところで、別に何かが変わるわけじゃないし。結局、既に過ぎ去った人生の要所で、勇気が出なかった自分を責めるしかできないんだよね。そしてまた、自己嫌悪に陥るという無限ループ。本当に生産性がない永久機関である。

中学生の時、「ドラマやアニメになりやすいのはどんなお話?」という国語の授業があった。振り返るとめちゃくちゃな授業だが、とても興味深い議題である。
その授業のことを時々思い出すのだが、ここ数年、その授業に対する自分の答えは「登場人物の決断が成功する物語」だと思っている。それは主人公であれ、ヒロインであれ。いわゆる日常系とか言われるアニメが流行ったりもするけど、本当に波風が立たない日常というのは描かれないのである。
お話のどこかに、必ず分岐点があって、登場人物がどういう決断をするのかによって物語も結末は変化する。そして、その決断が成功に繋がるお話を望んでいる人も多い。私もその一人で、なぜなら、「自分の決断も成功に繋がるのではないか」と信じていたいからである。

ただその上で……どんなに良い決断を下したとしても、同じ土俵で自分より物事を上手にできる人がいる限り、どこか嫉妬を覚えながら生きていくんだろうなぁと思う。
勝ち負けという概念を捨てたものは楽になるし、そうやって楽しめているものはあるのだけど、何か一つくらいは誰よりも上手に……というか、負けないものが欲しくなる。でも、それが見つからないから、「あの時こうしていれば……」みたいなことを考えてしまうんだよね。

ほら、やっぱり負の無限ループ。今日はちょっと後ろ向き過ぎるだろうか。
そんな日もあるので許してほしい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?