描くという愛情表現

なんでみんなそんなに絵を描くのが上手いのか。
いやね、私もちょっとは上手くなってきたな!って自信がみなぎる時期ってあるんですよ。というか、絵を完成させた時はいつも「いま世界で一番かわいい絵を描けるのは私だ」と思っているまである。「これを!?わたしが!?自分で描いた!!??天才か!!???!?」ってね。

でも、たいてい直後にタイムラインを見ると、本物の天才たちがイラストをアップしてるわけです。それを見た後に自分のイラストを見ると……勝てねぇなぁって。絵が上手い下手の勝ち負けとかじゃなくて、こんな絵は自分には描けないなっていう気持ち。敗北感というよりは、悟りに近い感覚。それ、落書きじゃないだろってツッコミたくもなる。

とはいえ、やっぱり自分も好きでなきゃ絵を描くことなんて続けてないわけで……上手くなりたいからがないわけではないけど、基本的には描きたいから描いてるというスタンスだと思う。
最初から「絵が上手くなりたい」って動機で絵を描き始める人ってそんなにいないと思う。少なくとも、自分の周りのそういう人は長続きしないで、すぐに絵を描くのを諦めていた。タイムラインにイラストを流し続ける皆様におかれましては、ほとんどの場合「推しが描きてぇ!」とか「よしよし、俺だけの理想の◯◯ちゃんを描いてやるからな……」とか、そういう狂った動機がスタートラインである。特に大人になってから描いてる人はそういう人多い気がする。

……え?その動機は別に狂ってないって?
その思考になっているあなたは既に洗脳済みです。
もう間に合いません。一生創作して、理想の推しを描き続けてくれ。

結局のところ、私自身も「自分だけのかわいいアイコンがほしい」「誰も描いてくれないから自分で描くしかない」みたいなことから始まっている。そうやって描いていく過程で、「もっと上手く推しを描きてぇなぁ」などと思うわけです。上手くなるのは目的ではなくて、好きなものを好きなように描くための手段なんですね。

プロのイラストレーターとか、漫画家なら話は変わってくるのかもしれないけど、私の場合は「こんなこといいな、できたらいいな」でやっているので、なんとなく理想に近い絵を描いてみようと手を動かせたらいいなと思う。その「なんとなく」についつい全力を尽くしてしまうのだけどもね。

何はともあれ、「ぼくのかんがえたさいきょうの推し」を描くというのは愛情表現なのかなと思うのです。語彙力がすぐなくなるから、言葉以外の表現方法も必要なのかも……というのと、イラストというのは言葉と同等かそれ以上に「行間」が存在するから、そこに精一杯の愛を込める。こればっかりは自分の手を動かさないと、うまく表現できないから、上手くなろうとするんだろうね。

今日は瑠璃子さんのノンサプライズバースデーパーティーで、たくさんの素敵なイラストが流れてきて、全部に物凄い愛情を感じたのでした。それがなんか、すっっっっっっっごい幸せだったのです。

……私のイラストにも、愛はこもってます。一応。

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