##NAME##

児玉雨子さんの「##NAME##」をようやく読むことができた。
ハロプロの作詞の他、アニメやゲームの楽曲にも詞を提供していて、私の属する界隈だとアイマスにも結構提供してくださっている。ミリオンライブの「スペードのQ」はインパクトもあったからプロデューサーさんも印象深いのではないか。

空き時間に読もうと思ってカバンに入れっぱなしにしていたらボロボロになってしまった

2021年、ちょうど小説を買い漁っていた時期に「誰にも奪われたくない/凸撃」という小説を衝動買いして、これが非常に自分に刺さった。それで調べてみたら児玉雨子さんというハロプロの作詞をしている方が書いているのだと。

私はハロプロについてあまり詳しくないのだが、「誰にも奪われたくない」を読んだ後、たまたまモーニング娘。の「ビートの惑星」という曲を聴いてお気に入りになりまして。
イメージしてる通りのモーニング娘。の雰囲気に現代チックな楽しさと韻を取り込み、ポップだけどどこか儚さを感じさせる歌詞にとても惹かれたのだが、これを児玉雨子さんが書いていると知って、綺麗に点と点が結びついたのだった。

それで小説の方の次回作をずっと待っていたところで、「##NAME##」が発表された。そしてなんと芥川賞の候補に。これはもう期待するしかないと、ハードル上がりまくりで発売日に買ったのだが、なかなか読める時間がなくようやく読み終えたのでした。

ここから先は感想。
配慮してるつもりですがネタバレしてるかもしれないので閲覧注意。









タイトルの通り「名前」がテーマの物語。
名前という概念の性質上、それは自分自身の足跡にどこまでもついてくるものである。良いことも悪いことも、名前とともに刻まれていく。
インターネットが普及し、誰でも簡単に検索エンジンを使うことで、有名人の名前で検索すればWikipediaがヒットして、その人の経歴を知ることができる(信憑性があるかどうは別として)。
事件が起きればすぐにSNSで拡散されて炎上するし、誰でも他人を叩き、正義を振りかざす材料を手に入れられる。日々、誰かが誰かを叩き、自分の思想こそが正しいのだと主張し、会ったこともない相手に好き勝手な言葉を投げつける。Twitterをやっていればよく見る光景である。そして、そういう話題で取り上げられる人物の名前にプライバシーなどというものは考慮されないのが常だ。それは、加害者も、被害者も。

自分の知らないところで、自分を全く知らない他人によってラベリングされ、勝手な自分のイメージを作りあげられる。それを自分自身に置き換えてみると迷惑極まりない。
だが、私も含め、オタクでいわゆる推し活をしている人間というのは、活動の断片から自分が理想とする推しのイメージを作り上げ、一方的な愛情を投げつける。中にはそれが正の感情から負の感情に移行してしまう人もいるだろう。
しかし、このラベリングの積み重ねが好き・嫌いという感情になり、人間関係が構成されていく。その到達地点が推し、友人や恋人、果ては結婚したりすることなのだと思う。そう思うと、人間である以上、こうした行為を完全に否定するのは不可能なのではないか。
私もラベリングされるし、逆に私も他人をラベリングしていく。それをどこまで受け入れるかは人それぞれだが、その全てを受け入れるor拒絶するという両極端な選択をしたとき、果たして自分には何が残るのだろうか。

ここからはちょっと自分に重ねた話。あんまり書くべき話じゃないけど、良い機会なので。
私は某ラジオにお便りを送っている。採用されて面白いと思ってもらえるのは本望だし、そのために毎週のようにネタを探したりするのだ。
実際にメールを読まれ、パーソナリティやリスナーは私のことをどう思っているだろうか。少なくとも、100%私のことを理解した上で笑っている人はいないと思う。だって、私の生活なんて知っているわけがないから。これはリスナーだけじゃなく、リアルの友人ですらそう。
メールが読まれることで「すばやいもふもふ」という名前にイメージが刻まれていく。
文字列でメールを送っている以上、うまく伝わらないことは山ほどあり、誤ったイメージが刻まれることだってある。だが、それを「本当の私と違うから!」と全て否定したらどうなる? それじゃ面白くないなって思う。だからあえて受け入れて自分もゲラゲラ笑って楽しむ。私にとって、メールを読んでもらって、みんなで笑って楽しめる時間というのは何にも代え難い大切な瞬間なのである。
でも例えばそれを、「すばやいもふもふさん、変なイメージつけられてかわいそうだよ!!!」と言い出す人がいたとしたら。それで私のイメージが聖人君子に傾いたとしても、私の楽しみを奪われるくらいならありがた迷惑な話である。(実際に変な人だから仕方ないというところもあるし)

このラインを踏み越えるかどうかという判断はとても難しい。それは他人に対しても、自分に対しても。強いていうなら、裏側を全部知ることで面白くなくなることはいくらでもあるし、知識欲とのバランスを取るのが大事なのではないかということ。他人の人間性とか、業界の闇とかを100%知っても得どころか損することも多いと思う。(私が週刊誌を好まないのは、このへんの思考が絶対に相入れない相手だからです)
こういう書き方をしていると多分たくさんの勘違いを生むのだが……どれだけ頑張って書いても理解されない時はされないし、あくまで私個人の考えってことで。

最後に。児玉雨子さんの小説は2冊目だけど、本当に期待を裏切らなかった。かなりセンシティブなところに切り込んでいくし、生々しい雰囲気を漂わせてくるんだけど、それをお気持ち表明って感じにせずに、あくまで一つの物語として表現してくるのが良いなと思う。そういう意味では「##NAME##」は私が感じる児玉雨子さんらしさと、その良さが詰まった小説だったかなと。特に私が属する界隈には色んな意味でぶっ刺さるんじゃないかなぁ……。

また新刊でたらすぐに買います。








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