「将来の夢」

初めての「将来の夢」はなんだっただろうか。
多分、小学生になる前だったと思うが、「プロ野球選手」と書いたのが最初だったはず。自分にとって、スターというのはグラウンドでスーパープレーを見せる野球選手だったのだろう。

しかし、プロ野球選手になれるのは、ほんのひと握り。そして、自分はそこに属する存在ではないと気づくのに時間はかからないのである。
自分より上手い選手がいて、それよりも上手い選手がいて、それでもいわゆる名門校に行くことができない。大多数の野球少年は中学、あるいは高校でその現実を知り、夢がプロ野球選手ではなくなるのだ。これは多分、野球部じゃなくてもそうだと思う。初めて現実と対面するのは大体そのくらいの時期で、最初に掲げた夢を取り下げる。その後、初めて夢を掲げた頃より少しだけ成長した頭を使い、自分がそこに届くのが現実的かどうかも含めて、改めて夢とか目標について考えてみる。そうして、新しく掲げた目標というのが、真の意味での「将来の夢」なんじゃないか……と、そんなことをふと思った。

ただ漠然と「プロ野球選手になりたい」というのと、熟考して「プロ野球選手になりたい」というのでは、重みも違ってくる。私は中学の時に夢を取り下げて、なんとなく現実的な範囲の目標を探し始めた。
そして、高校2年の夏、「教師になって、野球部の監督で甲子園に行く」という目標にたどり着いた。そこには色々と理由があるのだが、突き詰めれば野球が好きという一点に集約されるだろうか。当時はそんな自覚もなかったが。

では今、教師になっているかというと、答えはノーである。つまり私は、あれだけ教師になろうとしていた過去の自分を裏切っている。
もちろん、ここに至るには自分なりの考えがあって、それだって嘘のない気持ちだったから、間違ったことをしたつもりはない。今の仕事だって、夢を叶えたという捉え方をすることは可能だ。なにより、学生のうちはこうやって考えを変えて、将来の夢が変わろうと何も問題はない。

だがしかし、実際に仕事にしてみると、「なんか違うな?」っていうギャップがあるのも事実で、楽しいことと苦しいこと、その比率は苦しいことのほうが圧倒的に高い。
多分、どんな仕事をしていたとしても、同じような思いをしていると思うし、「思っていたより苦しいからイメージと違う」というわけではない。そりゃしんどいこともあるだろ、とある程度分かりながら、やってみたら案の定しんどかっただけの話である。
しかし、それに耐えられるかどうかは別の話で、仕事だけが理由ではないにせよ、私はちょっと限界を感じている。

さて、高校時代にせよ、大学時代にせよ、夢を変えても特に問題はなかったが、もし今自分が仕事を辞めたとして、次の夢はどうなるだろうか。ここから先は、「どんな夢を叶えるか」ではなく、「どうやって生きていくか」がテーマになってくる。社会人になってしまうと、現実との対面度合いは学生の比ではないから、好き放題に突っ走るという思考にはなれないのだ。

そんなことを考えている間にも、時間はどんどんと過ぎていくし、結局答えは出ていない。
夢を叶えるためには、ぎゅっと目を閉じて、ずっと夢の中にいないといけない。現実に気がついてしまった時点で、もう勝ち目などなかったのだろうか。

もう一度、夢の中に戻りたい。
そう願うのはいけないことでしょうか?
せめて願った先に、何かあるといいのだけど。



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