私の話は9割嘘だと思って聞いてほしい

社会人になると、今まで以上に違う世代の人と話す機会が増えるわけでして、本当に漫画でしか聞いたことがないようなセリフをたくさん聞けるんですね。
本当にいるんです。「昔は良かった」とか「あの頃は良かった」とか言う人。その一方で、「俺が入社した頃は大変で〜」とか、苦労話にすり替えたりもできる。無敵な人々がたくさんいらっしゃいます。
先に私の意見を表明しておくと、今の方が圧倒的に良いと思っています。スマホでなんでもできて、労働に対する意識も多少まともになってて、個人というものを尊重されるのだから、昔より良いところがたくさんあるのです。

それはそれとして、昔を羨むこともまぁまぁあります。
それを一番感じるのはグレーゾーンの多さでしょうかね……。あんまり具体的に踏み込むと、それこそグレーどこからブラックになってしまうのだけど、最近はなんでもキッチリ決め事がある印象。それは決して悪いことだけじゃないけど、「遊び」の部分がなくなっていくんですよね。

言い方を変えれば、ちょっとくらいズルさせてほしいってこと。
今まで「ズルい」と思われてきた正当な行動が、本当に正当なものとして認められる。これは良いことだと思うけど、そうやって決め事が一つ増えることで、逃げ道が一つ減るんだと思う。
「あれは良いけど、これはダメ」がガッチリ決まると、「良いか悪いか分からないから放っておいてもらえる」という立ち位置の物事がなくなって、本当の意味の逃げ道がなくなるような気がしていて。

自分が社会人になったから、これまで以上に周りに気を使うようになってしまったところはあるけど、ここ数年は特にそれを感じていて、窮屈だなぁと思うことも割とある。
まあこれは、自分の界隈というか、太くもない繋がりが各方面に簡単に広げられてしまうからかもしれませんね。あくまで私の好みだけど、基本的に私はプライベート的な空間に関しては、狭い世界でワイワイキャッキャできたらいいやって感じなので、極端に言えば「VS世界」とかは考えていないのです。細い関係が増えるほど、相手は一般化するので、グレーゾンに対する許容が低下して、味の薄い空間になってしまうのです。私はちょっと濃いめのカルピスくらいの濃度が好きなので、その辺の塩梅をうまくコントロールしたいなと思うわけです。

何が言いたいかというと、世の中全体としてはいろんなルールが定まって、ちゃんと自分が守られて、それでいて便利な世の中であってほしいけど、自分の周り・プライベートなところはガッチリ決めないでゆるゆるであってほしいというワガママなお話です。

どうせ仕事なんてロクでもないことしかないし、そっちは適当にやって、楽しいことは全力投球をしたいんですけどね。疲れてくると愚痴ばっか。楽しいことしたーい。


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