長文を断念

今日はいろいろと長文でnoteに書こうと思った。でも、途中で書くのを止めてしまった。めんどくさくなったというよりも、書いている途中で、「あ、なんかこれ自分が思っていることと違うな」と思ったからである。
ここは書き殴りの場であって、綺麗事を綴る場ではない。にもかかわらず、ネガティブな思考の発露を締めくくる時、少しでもポジティブにして和らげようとしてしまうことがある。私の悪い癖である。

なぜそんな無駄なことをしようとしてしまうのか。それは、私自身が本来、ネガティブな結末を望まないからである。物語にせよ、歌にせよ、最後は希望が見える終わり方であってほしいと、そう思う気持ちに嘘はない。
そんなことを言いながら、たまに「うわぁ……」とドン引きするようなものがあるから、ハッピーエンドが映えるのかもしれないし、別にそういうのを読むのも決して嫌いではないのだけど。まあ、着地点がバッドなのか、後のお話は読者のご想像におまかせしますなのか、終わらせ方次第で結構印象は変わるか。要はオチがあるかどうか。
でも、やっぱり、自分も幸せになりたいんだから、やっぱり幸せなお話を聞きたいわけなのよ。2ちゃんの恋愛語りみたいなスレ、うざいけどついつい読んじゃうじゃん。それは多分、そういうことだと思う。

やや脱線したが、つまりは自分の雑多な日々のお気持ちを書き殴る場ですら、私は後ろ向きな着地点で終わらせたくないと思ってしまうのです。
だから、自分の気持ちとは裏腹に、なんとなく前向きっぽい文章の終わらせ方をさせてしまう。そんなことしたところで、本当に前向きになれるわけでもないのにね。

じゃあもう、今日書こうとしていたことで、ハッキリと結末を書いてしまいましょう。
私は正直、もう全てを投げ出してしまいたい。無責任に全部放り投げて、なにもかもやめてしまいたいのです。
似たようなこと、今までも書いたことあるけど、多分それを読み返したら、「それでも頑張らないと」とか「なんとかしよう」とか、そんなことを言っていることが多いと思う。そういう気持ちが0ではないのは本当。でも、90パーセント以上「ああ、無理だ」という気持ちが上回っている現状、それを自覚してしまった今、もはや「なんとかする」という気持ちを保つのは不可能と言っていい。

だって冷静に考えて……仕事の日だけじゃないというのに、精神状況が原因で起き上がれなくて、目が覚めてから2時間経って布団から起き上がり、薬を飲んでようやく活動スタート。その後もヤバいと感じたら薬で不安を抑えて、なんとか日常生活を送る。世の人間が、「これが正常だ」というのであれば、それはもう世の中が間違っているとしか思えないのだが。
仕事に対して抵抗感が出てしまっているのか、それとも特定の人間に対する抵抗感なのか、それは自分でも特定できていないのだけど、いずれにせよこの状況で頑張るって無理なんじゃないかと思う。

それでも仕事にしがみつくのが「自分の夢のため」であるうちは良かった。でも、なんとなくその意識が薄れてきて、そうではなくなってきたと勘づき始めても、「いやいや、自分には夢があるのだ。それを叶えるために耐えているのだ」と自分に言い聞かせる。
しかし、残念ながら今の自分が仕事を続ける理由は、「働かないとお金がないから」が9割を占めているというのが現実であることに気づく。それはある意味、ものすごく残酷な真実で、それに気づいた瞬間に気持ちが完全に切れた。もう少し、夢の中にいたかったけど、うっかり目を開けてしまったのである。

多分明日も、嫌だ嫌だとうなりながら、1時間かけて布団から起き上がり、薬を飲んでドタバタと家を出るんだと思う。そして、職場ではなんとなくやれる感じを出して、「大丈夫です」とか強がって逃げられない。
うちの職場は基本的に社員が潰れないと気づかないので、多分私も倒れるまで気づかれない。そして、一度潰れて戻ってくることができると、途端にみんな優しくなるらしい。最初からちゃんとケアしてればそんなことにはならないし、このやり方、間違ってると私は思うけどね。

ここまで荒れたことを書けたのも、薬を飲んで落ち着いているからです。
発作が出ている状態だと、こういうことを書いてまた自己嫌悪に陥るので、気持ちをぶつけるというのもできないのです。だから、ストレスがあって、嫌な気持ちがあって、だけど一瞬だけ落ち着いている今がチャンスってわけ。

明日起きたら、「書かなきゃ良かった」って思うだろうけどね。
たまにはこういうことがあってもよかろう。
現実世界だけじゃなく、インターネットでも取り繕えるほど、私は器用じゃないのです。

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