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高島平の絶品お寿司、そして僕の思う昭和

 高島平、という場所に住んでいる。いちおう東京23区内。山手線の丸から見て結構、かなり、北西。板橋区の奥の方。川を渡ったらもう埼玉で、60歳以上の方には「あの団地の」といわれる。
 高度経済成長期に当時の技術の粋を集めてつくられた団地群がべんべんとドミノ板よろしく聳え立つこの街は、当時入居されたご家族がそのまま団地と一緒に年を重ねた結果だと思うんだけれど、どことなくくたびれていて、その分のんびりしている。八百屋の店先でおばあちゃん同士の「あらこれ安いわね」「半分こしましょうか」なんて、もはや都心では絶滅危惧種みたいなやり取りも見られるし、比較的新参者の僕でも「これおまけね」といって、バナナをひとふさ貰えたりする。たぶん高齢者が多い街なのだけれど、意外と若者家族も多い。自転車の前と後ろにお子さんを乗せてたくましく爆走している若いお母さん・お父さんも結構見かける。
 派手でキラキラしたものは何にもないし、アド街ック天国に取り上げられれば10位中3位は団地関連だけれど、安い八百屋さん、お肉屋さん、お惣菜屋さん、大きめのスーパーもいくつか、大きな公園に小さな動物園、結構立派な植物園に温水プール、図書館なんかも揃っていて、とにもかくにも暮らしやすい街だ。三田線のおかげで都心の職場まで一本(それに始発が出るから座れる!)、家賃の安さにつられてこの街に住み始めてから、もう結構な時間が経ってしまった。
 そんな我が街、高島平に、とてつもなくおいしいお寿司屋さんがある。その名も「高砂寿司」。めでたい。駅の新高島平側から歩き出して、団地と逆の方向(パチンコ屋の角)の通りを北にまっすぐ、最初の交差点を左に曲がってすぐの、所要時間徒歩5分。やってるのかな?もう辞めちゃってるのかな?と疑心暗鬼になるような店構えたけれど、お店の外に目安の値段表がひとつもなくて不安になるかもしれないけれど、そっと覗き込んで、電気がついていて、もしも満席じゃなかったら、思い切って入って欲しい。絶対に後悔しないと思う。……もしも電気がついているのに店内に誰も見当たらなかったら、勇気を出して「すみませ〜ん!」だ。そうしたらきっと、奥から大将が出てきてくれるので。
 高砂寿司は、いかにもチャキチャキの江戸っ子の大将が、基本的にはお一人で切り盛りをしている(最近は時々、息子さんや娘さん、それから可愛いお孫さんのお手伝いに遭遇することもある)小さなお店だ。一枚板の立派なカウンターに6〜8席ぐらい。たぶん使おうと思えば使えるであろう(でも脇に色んなものが積まれているので、使えないかもしれない)4人用のお座敷席がひとつ。今や高島平でただ一件生き残った、個人経営のお寿司屋さん。にぎりの並が1,000円。特上で2,200円。開業当時からお値段は据え置きらしくて、後述するネタの内容を読んでもらえれば分かると思うけれど、とにかく信じられないぐらい安い。僕の職場の近くで見かけるような、なんかもう雀の餌かな、みたいな量のお洒落ランチ2回分で、このお寿司がいただけてしまうと思うと、もはやちょっとしたバグだ。
 高砂寿司の売りは、なんていっても大将の目利きが本当に素晴らしいってことだ。小さめのシャリはちょっと水気が多め。その両はしからこぼれ落ちる大きくてぶ厚いネタは、いつだって宝石みたいにピカピカしている。握りをお願いすると最初に出てくるのは大抵鮪の大トロで、「これはね、ニュージーランドの鮪ですよ」なんて、その日その日の鮪がどこから来たのか大将が教えてくれる。霜降りみたいにさっと脂の乗った鮪は(サシが入ったとくべつおいしい牛肉みたいな感じだ)口に入れた瞬間に舌の上でとろけるみたいで、またこの脂がびっくりする程濃くって、あまい。甘いと書いて、「うまい」と読むことがあるけれど、旨いものは甘いのだなぁということがしみじみとよく分かる。それにこの脂、濃厚なのに全然しつこくなくて、あの、とにかく脂っこいものを食べたときの、口から喉がねとぉっとするような嫌な感じが無いのだ。本当に不思議だと思う。
 絶対に出てくるのは、この鮪と、帆立、雲丹、玉子、穴子あたりだろうか。たぶんこれらは定番メニューで、そのどれもが目玉が落ちるくらいおいしい。特に穴子はこれまでの人生で食べたことがないレベルのふわっとした柔らかさで、あの気が遠くなりそうな数の小骨だってひとつも残ってなくて、ツメ(穴子にかかっているとろっとしたタレのことを、ツメというらしい。「煮詰め」から来ているそうだ。これも大将が教えてくれた)が甘くて香ばしくて、大抵散々食べた後の締めとして大将が出してくれるのだけれど、もうお腹はいっぱいなのに「まだまだ食べたい……」と遠い目をしてしまう。
 この定番ラインナップに加えて、定期的に高砂寿司に通わざるをえない、と思わせてくれるのは、大将が出してくれる季節のネタがたまらなく美味しいからだ。「今日はいい鯛があるからね、ちょっと食べていくといいよ」とか、「最近他のお店はあんまりやらなくなっちゃったけど、今の時期は青柳がおいしいよ。江戸前ってったら青柳だよねぇ」とか、「この鮑は小さいけどいい鮑ですよ」とか。次から次に、テンポよくお寿司を握って出してくれる。
 お店の前に止まっている年季もののカブで、大将は毎朝豊洲にネタを探しに行く。その日市場で見つけたものの中で、馬鹿高くなくておいしいものを、しっかり買ってきてくれる。「なんてったって季節のものが一番安くておいしいからね」というのが大将の言だ。時々「◯◯がたったこれっぽっちで幾らだって!馬鹿馬鹿しくて買ってらんないね!」なんて、憤慨していることもある。最近はコロナの影響で外食チェーンの動きが止まって、「高砂さん、これ持ってってよ」なんて市場の魚屋さんから頼まれてしまうこともある、と言っていたけれど、大将なら上手にさばいて、上手にお客さんに出してくれるだろうな、というのが、魚屋さんにもきっと、分かっているんだろう。そう、この高砂寿司、握り以外にもつまみや丼で、大将のお眼鏡に適ったネタが出して貰えるのだ。これがまた堪らない。
 通い始めて3回目、だったと思う。その日の僕は確かインド出張から帰国したばかりで(午前中に成田に着いたのだったと思う)、噂には聞いていたけれど出張の間の食事は、本当にカレー、カレー、香辛料の効いたお惣菜と肉、間にちょっと飲茶、という具合で、もちろん自分でご飯を作るような気力は逆立ちしても搾り出せない具合で、とにかく和食、欲を言えばナマの魚が食べたい、あ〜、さらに、本当にさらに欲をいえば白子。白子が食べたい。そう思い詰めて、トランクを家に置いたその足で一か八か、高砂寿司さんを訪れたのだった。
 開口一番、いや、二番だったかもしれない。「あの、白子ってありますか」と訊ねた僕に、大将は間髪入れず、「あるよ!」と答えてくれた。その時小鉢で出してもらった白子のことを、今でもちゃんと覚えている。片手にすっぽり収まるような小鉢に贅沢に盛られた白子はほんのり刷いたような桜色で、大将曰く「ちょっと時期の早い、出始めの白子」だった。紅葉おろしと小ねぎ、ポン酢がかかったその「出始めの白子」は臭みなんてまったくなくて、真冬のものよりも少しさっぱりとしていて、でもぷつっと膜を噛み切ると、あのとろけるような舌触りとコクが溢れ出してきて、一気に身体中が生き返ったような気がした。生魚を普通に食べられる場所に生まれてきてよかったなぁ、と、誰にともなく感謝してしまった。
 それが、多分、単純な「並」や「特上」のレールを外れるきっかけだったんだと思う。それからだ。大将が、握り以外のいろんなものを出してくれるようになった。
 「折角おいしい赤身だから」と作ってもらった鮪の鉄火丼、「今が時期でいいですよ」と、小皿に盛られた鰯の刺身(すりおろした生姜と小ねぎがどっさり乗っかっていて、脂の乗った鰯のおいしさもさることながら、薬味の重要性を改めて思い知らされた)、お酒を頼むと最初にアテで出してもらえる烏賊の切れ端を茹でたもの、「そうだ、いくらがあるからね、ちょっと出しましょうね」で、鉢一杯に出てきた宝石みたいないくらの醤油漬け(これはその後、海苔と一緒もまたいいですよ、といって、大将が軍艦でも出してくれた)。こんなに書いてもまだめくるめく高砂メモリーが止まらないことが怖い。ちょっと僕は高砂さんを愛しすぎている。
 訪れる回数を重ねるごとに、メニューにあるお寿司のコースを食べる→コースに自分の食べたいネタを組み込んでもらえる→追加でお願いしたネタが「◯◯あるよ」と用意されている→もはやメニューを大幅に逸脱して、大将が出してくれるがままに刺身、寿司、丼を食べるようになる、と、ランクアップ(……っていうのかな)していく。高校生の頃、喫茶店で「いつもの」と言える大人になりたいと思っていたのだけれど、まさか寿司屋でそれに近い状態になるとは思わなかった。
 大将の人柄がそうさせるんだろうけれど、このお店には常連さんが本当に多い。何回か顔を合わせて、ちょっとだけお話しさせてもらうようになった人も居るし(今はできないけど……)、なんとなくお互い「あ、この前いらっしゃった方だな」と思っている人も居る。親子2代で通うお客さん、週一で通っているらしいお客さんなんてのも居る。最初に僕にこの店を教えてくれた小・中・高、高島平だという生粋の地元民のバーテンさんも(高島平にもバーがあるのだ!)、夜、たらふく飲んで食って1万円いかない、あそこは美味しくていいね、と言っていた。
 大将は、一回で鳴りやむ電話は取らない。「常連さんだったら2回かけてくるよ」と笑っている。酒屋さんやおしぼりを運んでくれる出入りの業者さんに、「これ持っていきな」とお土産のいなり寿司を渡しているのを見かける。そこには最近あまり流行らない、偏見かもしれないけど「昭和っぽい」コミュニケーションがまだまだ生き残っていて、それはこの高島平という街の、いいところをそのまま、ぎゅっと煮詰めたようなものなんだろうと思う。

 いちおう東京23区内。山手線の丸から見て結構、かなり、北西。板橋区の奥の方。川を渡ったらもう埼玉で、60歳以上の方には「あの団地の」といわれる。派手でキラキラしたものは何もないけれど、じわっと美味しい。
 そんな場所にある、最高のお寿司屋さんの話、でし、た。
 




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