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“ジーコのラボーナ”

今日3月3日は、ジーコ選手の誕生日です。

ジーコといえば、もう日本でこの人しか頭に浮かばない名前ですね。
サッカーを知らなくても、ジーコはわかる!!ってかんじで。

ジーコは選手時代物凄い選手で、ブラジル代表でもソクラテス、ファルカン、トニーニョ・セレーゾと4人で黄金カルテットと呼ばれるほどとんでもないメンツが揃ったチームで10番をつけていました。
1982年のW杯スペイン大会でイタリアとの試合は歴史に残る大会だと言われています。イタリアのパオロ・ロッシも良かったんですよねこの試合。

やっぱりJリーグを最初に盛り上げた人物のひとりなんですよね。
調べると、その時すでにブラジルでは引退していて、スポーツ担当大臣にまでなっていたらしいんです。
しかし、それから鹿島(前住友金属)からのオファーで日本にやってくるんですね。

鹿島のジーコは特に衝撃でした。
見た目“おじいちゃん”で当時40歳くらいなんです。
そりゃ長い距離も走れないし、「よく歩くなぁ」とか思ってましたよ。
でも、ボールぎわのプレーが繊細でわっ!としてるうちに抜かれてたり、前線にいいパスが出されていたり、あの華麗な球さばきが少年たちの憧れだったりしたんです。
ただゴールを目指すだけじゃなく、遊ぶんだって思えました。

あとジーコで言うならPKの蹴り方が衝撃的で、足をクロスして蹴るんです。
“ラボーナ”っていう蹴り方なんですけど(今はほぼ反則みたいです)、
次の日からみーんなマネしてたなぁ。

そのあと、監督業に入って日本代表もやったりするんですけど、そこでやっぱりちょっと、ジーコ監督何考えてんだろみたいな。
だんだんジーコの監督業に不安になっていくんですね。気持ちの良い勝ち方ができてなかったし。あれれ、メンバーはいいはずだし、中田英寿がいて、中村も小野も、稲本と、トルシエジャパンが成績が良かっただけに、期待はずれしていくっていう雰囲気があって。

2006年ドイツ大会で、グループリーグ敗退してそこで中田がピッチで仰向けで倒れているし、会見では“日本サッカーは遅れている“みたいなニュアンスに感じちゃって。
こんなに違うのか世界とは、って思った瞬間でしたね。

だから最終的にはジーコのことをすごく恨んだりしたんですが、でもやっぱりジーコは日本サッカーの立役者なんで。偉大な、偉大な、プレイヤーでした。
現役時代を知っていて、光栄です。

お誕生日おめでとうございます。

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