阿南 惟幾



生没年月日

1887年(明治20年)2月21日 ー 1945年(昭和20年)8月15日

出身地

東京府東京市牛込区箪笥町 (現:東京都新宿区箪笥町)

学歴

徳島県立徳島中学校 (現:徳島県立城南高等学校) 中退
 
広島陸軍地方幼年学校
 
陸軍中央幼年学校
 
陸軍士官学校(第18期)
 
陸軍大学校(第30期)

年表

1887年(明治20年)2月21日


内務官僚を務める阿南家に生まれる。

 
1900年(明治33年)9月
旧制徳島県立徳島中学校 中退
陸軍広島地方幼年学校 入学
その後、陸軍中央幼年学校で学ぶ。
 
1905年(明治38年)11月
陸軍士官学校(第18期) 卒業
 
1906年(明治39年)6月
陸軍歩兵少尉 任官
 
1908年(明治41年)12月
陸軍中尉
 
1910年(明治43年)11月
陸軍中央幼年学校生徒監
 
1916年(大正5年)11月
陸軍大尉
 
1918年(大正7年)11月
陸軍大学校(第30期) 卒業
 
1922年(大正11年)2月
陸軍少佐
 
1923年(大正12年)8月
陸軍サガレン州派遣軍参謀
 
1925年(大正14年)8月
陸軍中佐
 
1926年(大正15年)4月
陸軍参謀本部第1部演習班長
 
1928年(昭和3年)8月
陸軍留守歩兵第45連隊長
 
1929年(昭和4年)8月
侍従武官
 
1930年(昭和5年)8月
陸軍大佐
 
1933年(昭和8年)8月
陸軍近衛歩兵第2連隊長
 
1934年(昭和9年)8月
東京陸軍幼年学校校長
 
1935年(昭和10年)3月
陸軍少将
 
1936年(昭和11年)8月
陸軍省兵務局長
 
1937年(昭和12年)3月
陸軍省人事局長
 
1938年(昭和13年)3月
陸軍中将
 
1938年(昭和13年)11月
陸軍第109師団長
 
1939年(昭和14年)10月
陸軍次官
 
1941年(昭和16年)4月
日中戦争陸軍第11軍司令官
 
1942年(昭和17年)7月
陸軍第2方面軍司令官
 
1943年(昭和18年)5月
陸軍大将
 
1944年(昭和19年)12月
軍事参議官 兼 陸軍航空総監

1945年(昭和20年)4月


鈴木貫太郎内閣・陸軍大臣 (~1945年8月)

1945年(昭和20年)8月15日


東京都麹町区永田町(現:東京都千代田区永田町)の陸軍大臣官邸にて割腹自殺により陸軍大臣在職中のまま死去。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?