初めての一人暮し

2011年3月。
私は京都駅に降り立った。
18歳の時、不安と新鮮な気持ちで私は早朝の新山口駅発の新幹線にスーツケースひとつ持ち、京都駅に向かった。

私はひょんなことからか、中学卒業と共に実家を離れて祖父母の家に下宿していたが、高校卒業と共に京都産業大学への進学が決まり、3月の終わり頃に初めての一人暮しが始まった。

世間では東日本大震災の余波が続いていた頃だ。

私が借りたアパートは大学の下宿紹介係から紹介された古いアパートであった。
風呂なしトイレなし。
正確にいえば、共用。
風呂は100円で10分間使用できるシャワーがあり、共同台所の中に無理やりユニットバスを押し込んだ形であった。

建物は4階建てで、1階はお婆ちゃんな大家さんが営む米穀店があり、2階から学生専用アパートとなっている。
私は3階の角部屋、ドアは木製で立て付けも悪く、エアコンは1999年製造の印がつけられた冷房専用のウィンドウエアコンのみ。
8畳の広さがあるのが唯一の取り柄のような部屋だった。

私は大学が楽しくて2年留年して6年通ったが、たくさんの思い出が詰まっている。
ドアを開けたらネズミと目があってお互いにパニックになったり、共用洗濯室のなかでツバメが迷いこんでえらいめにあったり。

なによりも、大家さんだ。
たぶん、このアパートに住む学生たちはどんな不満があっても大家さんの人柄で暮らしてた面は大きかっただろう。
登校前にお店で出会えばジュースをくれたり、家賃を手渡し(そう、家賃は振り込みではなく手渡しだった。)するときに野菜やジュースやレトルトカレーをくれたりとしてくれた。
私が所属していた合唱団の演奏会が決まればポスターをお店に貼ってくれたこともある。

家賃を滞納しても笑顔で待ってくれたこともある。
お盆の五山送り火では屋上から舟形が見れたが、大家さんと住人たちと一緒に眺めたこともあった。

そして私が卒業するときにはネクタイをプレゼントしてくれた。
卒業式の時には一緒に喜んでくれて、あなたは苦労したかもしれないけど、新しい土地でもあなたならやっていける。また京都に来たなら遊びにいらっしゃいと。

アパートを出ていく日。
引っ越しのトラックが早朝に来る。
早朝だというのに大家さんは見送りに出てきてくれた。

「またおいでね。」
「気を付けてね。」
「どうか、この子をよろしくお願いします。」

大家さん、私は元気に過ごしています。
辛いこともたくさんあるけれど、どうにか頑張っています。
また顔を出しにいきます。

どうか、大家さんもお元気にお過ごしください。

必ず、1度は伺いますから。

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